懐かれているのか舐められているのかは定かでないが、私の周りにはよく動物が寄ってくる。犬、猫はもちろんのこと、鳩や烏、それから虫などの類も釣り糸でたぐり寄せたかのように寄ってくる。いつだったかは2匹の子猫が私の傍をくっついて離れず、危なっかしくて車道を横断できなかったということがあった。またある時は、平和の象徴でもある鳩が私の頭上まで飛来してきたかと思うと糞を落として飛び去って行ったということもあった(落下してきた糞は身をよじってかわしたので、惨事は免れた)。
懐かれているのか舐められているのかは定かでない。
そんな私の体質と関係があるのかは定かでないが、先だって、仕事帰りに物乞いの爺さんから「金をくれ」とせがまれた。
聞くところによると、その爺さんは新潟から100km以上の道のりを、杖を突きながらわざわざ歩いて来たのだと言う。手持ちの金はなく、とても腹が減っている。いくらでもいいのでお金を恵んではくれまいか――という話だった。
「おい、おい、いくらなんでも所持金ゼロで旅するなんて無謀だぞ爺さん」と思ったのだが、小学生に「灰色のガンダルフだ!」と言われそうなその風貌を見ると、この界隈を回って歩いているただの物乞いなのだろう。
にべもなく断ろうかとも思ったのだが、その後あとをついて来られて、
「あら、あら、お孫さんとお散歩ですか。仲がよろしいですわねぇ」
なんて街行く人に誤解されるのも嫌なので、お金を恵むことにした。
私が財布を手に取り「握り飯くらいでいいだろう」と五百円玉を詮索していると、
「いやー悪いねぇ。本当いくらでもいいから……ラーメン代くらいで」
と、そのジジイはさりげなく話を具体的に煮詰めてきたではないか。図々しい爺さんである。
私は千円札と五百円玉を爺さんに渡すと(五百円は端から1500円渡すつもりで小銭をあさっていたのだというカモフラージュ)笑顔で「これで温かい物でも食べてください」とその場を立ち去った。
我ながら人間ができているなぁ、と感心する。きっと物乞いの爺さんは私の後ろ姿を見送りながら、「温かいのはあんたの心だよ……」と呟いたのに違いない(間違いない!)。
さて、この翌日。
いつものように会社近くのコンビニへ昼飯を買いに行った私は、物乞いの爺さんにやった金が自分の昼飯代だったということをすっかり忘れてカラッポの財布を持ってレジへと向かう羽目になる。
そういう時に限って余計なお金とはないものである。
“物乞いに金をやったら今度は自分が食えなくなった”という間抜けな現実に私が呆然としていると、
「いつもご利用していただいていますから、今日お支払いいただかなくても結構ですよ。明日こちらのレシートをお持ちになっていらしてください」
そう言って、レジの女性店員は優しく微笑んでくれた。
私はその女性店員の心遣いに感謝すると共に、自分が昨日したこともあながちマイナスではなかったと感じたのであった。
情けは人の為ならず……である。
―2003年11月5日―