世の中を『乗り物酔いのし易い人』と『乗り物酔いのし難い人』に大別した場合、私は前者に入る男前な子供だった。「……だった」と書くからにはこれはもう過去の話で、今となっては乗り物に酔うなんてことはなくなってしまった。これを成長と言うのか、ただの慣れと言うべきなのかは私の判断の及ぶところではないが、私が現代の車社会にどっぷりと適応するようになったというのは紛れもない事実のようである。
*ちなみにこの乗り物酔いには『加速度病』というきちんとした病名がある。何も知らずにこの病名を友人の口から聞いたら、さぞかし治療することが難しい大病なのだろうと涙ぐんでしまいそうである。
そんな訳だからとにかく子供の頃の私は乗り物に乗るのが嫌で々々堪らなかった。幼い私のこころは、車社会に対する不満とその車社会の発端となったカール・ベンツに対する怒りに充ち満ちていたのである。
田舎のおじいちゃん家に行くという1つ事を取っても私には一大事である。私の家からおじいちゃんの家までは母の運転する車(カローラ)で2時間ほどかかるのだが、これが地獄のような道程なのだ。出発して10分〜15分は久しぶりに会える祖父と祖母の顔を思い浮かべながらわくわくしているのだが、20分を越える頃になると途端に塞ぎこむようになり、母親や弟の呼びかけにも応答しなくなる。30分を越えた頃に現実逃避を計ろうと無理やり眠ろうとするのだが、眠れることなく儚い夢と散る。1時間を越えたあたりで一旦車を止めて休憩を取る。再度出発して同じ事を繰り返す。到着間近になると奇妙なゲップを連発するようになる(祖父の家も近いが、私の限界も近くなる)。祖父の家に到着して笑顔の再開を果たすが、私はそのまま畳の上に崩れ落ちる――といった感じである。
「幼い頃のお前はおじいちゃん子で、おじいちゃんの家に行くと[まだ帰りたくない!]っておじいちゃんの傍を離れなかったんだよ」
などと、私がいかにおじいちゃん子であったかの懐旧談を母や祖母からたまに聞かされるのだが、思うに上の台詞には「またあんな辛い思いをして家に帰りたくない。ボクここに残る!」という意思も含まれていたのではなかろうかと推測される。
そんな“乗り物酔い”という悪魔にいいように振り回されていた私の幼少期だが、私も手をこまねいて居た訳ではない。「梅干しを舐めれば良い」と言われれば梅干しを頬張ったし、「近くを見ないで窓の外の遠くを見つめると良い」と言われれば遥かイスタンブールに思いを馳せたし、「自分で運転すれば酔わない」と言われれば自分に運転させるよう両親に直談判もした。
しかし、何をしても乗り物酔いの呪縛から解き放たれることはなく、その後も相変わらず私はこの乗り物酔いに苦しみ続けたのである。
そして気付けば、乗り物酔いは私の中からある日さっぱりと消え去ってしまった。それは何の前触れもなく、突然引っ越して行ってしまったお隣さんのように。
……不思議である。
―2003年11月21日―