性分的に心配性なのだろうか、昔から物事の余計なことが気になったり首を突っ込んだりして後悔をすることが多い人生である。私が4歳くらいの頃に祖父の家で法事が執り行われた時は、集まった親戚に率先してビールを振舞おうとするもビール瓶をひっくり返してしまい、独り、薄暗い階段に腰掛けて落ち込んでいたのを憶えている。また小学校の漢字書き取りテストでは終了間近になってそれまで確信していた“神”の字のネ(しめすへん)が、
「あれ? もしかして衣偏だっけか?」
と、余計な1字をくわえたが為に点数を引かれたりもした。
他にもメロンを切ろうとしている母親を制して「メロンには食べごろがあるんだから、ちょっと寝かさないとダメなんだよ。オレに任せておけ」と豪語してそのまま忘れ去ったり、家族での食事中「この番組つまんないからチャンネル替えるよ」とドラマの濡れ場にチャンネルを合わせてしまったりと、まさに藪をつついて蛇を出してしまった状態に陥ることが多いのである。
あれは今から3年位前の話だろうか。
ある知り合いの女の子から、
「わたしの友達があなたの友達を好きになったみたいなんだぁ。だからさ、うまく行くように協力してちょうだいよ」
と電話で頼まれる、ということがあった。
常日頃、収入の1/3をユニセフに振り込んでいる私としてはその子の友達、延いては私の友達が幸せになる為にもぜひ協力してあげたかったのだが、その時の私はいろいろと複雑な身の上だったので「今のオレには人の幸せに荷担している余裕はない!」とその電話を叩き切った。
しかし、後にその子の画策から例の彼女と対面することになったのだが、私はそこで自分の考えを改めざるを得なくなる。そこで出会った彼女は、見てくればかりを気にする現代の女性の中にあって、実に健康的で飾り気のない自然体の彼女(推定体重『102s』)だったのである。私は感動した。
「ああ彼女だったら。彼女ならば私の友達の彼女としては申し分ない女性だ。ようし、協力しよう!」
彼女(推定体重『102s』)の人となりに触れた私は友達との恋仲を斡旋することを固く心に誓ったのである。
その日から私は事あるごとに友人を呼び出しては、彼女に会う機会を設けた。その多くは食事がてら居酒屋で酒を飲みながら話をするだけというものだったが、そのうち頻繁にカラオケに行くようになり、どこへ行く訳でもなく気軽に集まったり、彼女の家へと遊びに行ったりするようにもなった。私の努力の甲斐あって、友人と彼女の距離は確実に近づいていた。
時には電話で「彼女の気持ちわかってんだろ? オレは彼女いいと思うよ」と友人にさりげなく追い込みをかけたり、彼女に「スモウレスラーの精神でぶつかって行け!」とアドバイスを送ったりもした。
私は彼女が友人に告白する日を今か今かと待ち侘びていたのである。
そして彼女はある日、ついに告白をしたのだった。
この私に。
―2004年1月5日―