私が子供のころというのは風呂に入ることがとても嫌いで、母親から「早くお風呂に入っちゃいなさい!」と急き立てられてもなかなか重い腰を上げようとしなかったものである。しかし、いつからか風呂に入るのもそんなに嫌なことではなくなり、いつからかその日にひと息つける場所と化してしまった。今ではどちらかと言えば好きな部類に入る私の父親と同じ立場にあるのだから立派なもんだ。
そんな風呂に浸かりながら今日も現実を忘れて遠くのお星様に思いを馳せていると、どういうわけだか頭の中にトイレの絵が浮かんできた。私が「これじゃせっかくのいい気分も台無しだ!」と頭を切り替えようとするも、しばらくすると紙芝居のように又ふいっとお星様からトイレの絵に摩り替わってしまうではないか。
なぜだ? ――と、トイレの絵を頭に浮かべながら腕組みをしていたのだが、しばらくしてようやく犯人がわかった。原因は湯船に入れてあった入浴剤である。
これはなにも家の入浴剤に隠し味として便器の香りがブレンドされていたということではなくて、私のよく行く書店のトイレの芳香剤と湯船に入っているこの入浴剤の香りが全く同じだったのである。その為に自然とその書店のトイレを連想してしまったという訳なのだ。
本来ならばトイレの不快な臭いを緩和させる役割を担った芳香剤のために風呂の中で不快な思いをするとは、これはもう話があべこべである。
物事にはよしあしというものがあり、どんなに便利な物だろうと必ず欠点はある。卑近な例を挙げると、
消しゴム
・MONO消しゴム(よく消えるが面白味はない)
・キン消し(超人パワーは高いが消しゴムとしての役割を担うには至らない)
頭髪
・濃い(夏場は蒸れるが冬は温い)
・薄い(夏場は涼しいが冬は寒い)
チンコ
・でかいチンコ(夏場は蒸れるが冬は温い)
・小さいチンコ(夏場は涼しいが冬は寒い)
などである(特に3番目の「でかい〜」に関しては私も他人事ではない)。
私個人についても、よく「ギリシャ彫刻のようだ」と形容されるその風貌から、街行く人に平井堅と間違われることが間々ある。私もこれでサービス精神の旺盛なところがあるので、乗せられて「おじいーさんのぉーとけひぃ〜いい〜」と一節歌ってしまう。おかげでカラオケのレパートリーが増えたが、これもよしあしである。
今回の事例もそんな物事のよしあしの一端であるが、豊富な香りの中から自分の好きな香りを好きなように選べるという観点から見れば余所のトイレと同じ匂いがしたからといっていちいち目くじらを立てるようなことでもないのだろう。
そんなことをあれやこれやと考えながらひとり納得し、肩まで浸かって30数えて「さて、あがるか」と立ち上がったら、目の前が暗転し、気が付いたら火曜サスペンス劇場の死体のように湯船にもたれかかっていたのがついさっきのことである。
気持ちよくてこんなことを考えながらついついのぼせてしまうとは、風呂もよしあしと言えよう。
―2004年2月28日―