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―― ありがたいお言葉 ――

 人生の中で無駄なことは数あれ、全校集会における校長先生のありがたいお言葉ほど無駄なことはないんじゃないかと思う。各地域によって呼び名は違うのかもしれないが、私が通っていた小学校では朝や放課後に全校生徒をグラウンドや体育館に集めては「校長先生のありがたいお言葉」と銘打たれたワンマントークショーが催され、大して有り難くもないお話を延々と聞かされたものである。

 今思い返してみても、校長が話した内容なんてのは全く覚えておらず、貧血になりながらも歯を食いしばって耐え忍んだしょっぱい思い出しか蘇ってはこない。本当にどうでもいい集まりであった。

 聞きたくもない話を無理やり聞きに行かされ、

「おい、お前ら! 校長先生のありがたいお言葉だ! 聞き耳立ててよく聞け!」

 なんて、これはもう質の悪い不良と同じである。

 全くもってけしからん制度だ。

 校長先生に限らず生徒達の前に立って話をする人間にろくなのはいないというのが私の持論である。少なくとも私の人生においてはそうだった。要点の絞り切れていない話をだらだらと聞かされ続けるのが常であり、そういった場面に出くわすたび、自分に力があったらこいつの家にドカンと高速道路を通してやるのに――幼心に苦々しくそう思ったものである。

 そんな私の幼き魂のリフレインを神が知ってか、教師達に天罰が下ったのは臨海学校でのことである。



 臨海学校というのは、我々山育ちの子供達を海沿いの宿泊施設に押し込めて海の素晴らしさを存分に堪能してもらおうではないかという学校行事で、早い話が海辺で行う修学旅行みたいなものだ。

 事件が起きたのは臨海学校の2日目。

 その日は朝の5時から地元の漁師の方々と地引網を引き、その後に漁師さんの有り難いお話を聞かなければならないという地獄のコンボが織り成される日だった。

 私はクラスの友人らと砂浜で小雨の降りしきる中、

「こんなことしなくてもええやん! 来る途中にあった魚市場で蛤でも仰山買うたらええやん! うち、お腹ビチビチやねん」

 とか泣きそうになりながら懸命に網を引っ張った。それはもう鳥羽一郎のように。

 必死になって海から引き上げた網の中には、なんかよれよれの海藻とか釣り糸とか麻縄なんかが多数絡まっていた。魚の姿は皆無である。こんな物のために早起きをしたのかと思うと胸のしめつけられる思いだった。地元の漁師は「天気が悪い」とか言い訳をしていた。

 そしてグダグダのままに地引網は終了し、そのまま地元の漁師の爺さんによるワンマントークショーの幕が切って落とされた。

 私もこれまでに何度も「もういい加減終わらねぇかな……」という長話を聞いてきたが、あの時ほど辛い思いをしたのは後にも先にもない。それくらい凄まじい長話だった。

 なんか魚の話から始まって「自分は何年に生まれて……」「戦争が……」などと言い出し、「人生とは」「道徳とは」を切々と語り、果ては奥さんとの馴れそめまでをも聞かされる始末。これはもう爺さんの我々に対する嫌がらせ以外のなにものでもない。

 途中、貧血で倒れる生徒が続出したため、爺さんが熱弁しているにも拘わらず教師が生徒達を座らせる措置をとる。それを見た爺さんは「話が長くなりましたので手短にいたしますが……」と前置きをして再び話し出すが、それもドラゴンボールの「もうちっとだけ続くぞ」と同じであった。

 さらに、昼が近づくにつれて雲がはれて日が照りだしたから大変である。砂浜は焼け、汗は出るそばから乾き、塩の浮かんだ皮膚がひりひりと痛みだす。そんな体を太陽は容赦なくちりちりと射し、隣に座っていた小林君は鼻血をツーと垂らした(そんな小林君に私は「スケベなこと考えるなよ!」と力強く叱咤した)。

 ――もうみんな限界であった。

 前代未聞の地元の漁師による朝飯抜きの6時間ノンストップトークに生徒も教師も疲れ果て、そして呆れ果てていた。今ならちょっとした宗教にも入信してしまいそうである。

 その時である。

 あまりの長話にしびれを切らしたひとりの教師が、

「はい、漁師の高山さんでした。本当にありがとうございました」

 と、爺さんの話を強引に切ったのである。あの「人の話は最後まできちんと聞きなさい」と口酸っぱく生徒に言い聞かせていた教師が……である。

 宿舎への帰り道。私の後ろを歩いていた2人の教師が、

「いや〜、まいっちゃたね〜」

 などとぼやいていたのが非常に印象深かった。



 身のない長話がどんだけ迷惑なことか、これであんた達にもわかったろ――そんな生徒よりも教師がいい勉強をした、漁師の爺さんによるありがたいお言葉であった。

―2004年4月18日―

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