最初に聞いて頂けますか?

私は坐禅というこの素晴らしいものの良さを知る人が、余りにも少ないことが残念でなりません。みなさんがよく言われる「心を落ち着かせる働き」のほかに、こんなに不思議な力があるのです。

私はより深く坐禅を知りたいと思い、入門して仏教徒になりました。

でもここで私が書きたかったのは、ストレスや悩みから解放されるリラクゼーションの一法としての坐禅です。

言わば、仏教から切り離した形での坐禅です。

それならば、宗教を問わずどんな方にも試して頂けると思います。

もちろん、入門してそれなりに仏教の勉強を積む時、入門しないとわからないことがたくさんあることにも気づいています。

ただ、ここでは飽くまでも多くの人、特に、今幸せだと思えない人々に坐禅の良さをわかって頂きたい。そう思っています。

坐禅の呼吸を習得する。たったこれだけのことで、もしかしたらあなたの人生が変わるかもしれません。私がそうだったように・・・。

では、どうぞ!

証言1  坐禅=座禅だけで幸せになった笠原十子さんの場合

 


1)遊びを知らなかった「おうち大好き」小学生

2)自己主張しないと・・・・

3)優等生から抜け出したい!

4)はじめての挫折、そして暗い自分・・・

5)学校の優等生、社会の優等生にあらず

6)子供が出来ても未熟な親

7)坐禅そのものが救いだった!

1)遊びを知らなかった「おうち大好き」小学生

はあ〜い、笠原十子です。
心のページを開いてくれてありがとう。

今私はとても幸せに暮らしています。
だけど、こうなるまでにはいろいろありました。

私は一人っ子です。

自分で言うのも変ですが、蝶よ花よと育てられました。いつも母がそばにいて、手取り足取りなんでもやってくれました。

お勉強は、小学校の頃、いつも学年より1年進んだドリルをやっている位まあ、出来たのかな?でも、奇妙な子供でした。

学校の休み時間に、一体何をしていたのか記憶がありません。いつもボーッと突っ立って、お友達の遊んでいるのを眺めていたのか、たまに遊びに混ぜてもらっても、「私は今遊んでいる。友達と遊べなかった私が、遊べるようになった。」と遊ぶこと自体を楽しむのではなく、遊んでいるという事実を一人自己満足しているようなそんな子でした。

先生にこう答えれば喜んでもらえるだろうと考えたり、教育実習生(私たちは「教生の先生」と呼んでいました)の授業を「もっとこう教えればわかり易くなるのに・・」と心の中で批判していた私は、優等生と思われていたようです。

先生に言われて、小学校中学校では放送部長とか保健部長とかさせられました。

自分の世界に浸っているという意識は全く無かったのだけれど、学校にいても何だか自分一人だけが浮いているような違和感はありました。

当然夢中になって遊んだ記憶はありません。曲がりなりにも母親になって、娘たちに「ママは、小さい時どんな遊びをした?」と尋ねられたとき、どんなに首をかしげても答えが見つかりませんでした。

とにかく、私が居心地の良かったただひとつの場所は「私のうち」だったのです。

両親も祖父も優しかった。母はたまに厳しいことも言いましたが、基本的には「お勉強さえしていればいいの。ほかの事はなんでもやってあげるから・・。」という風でした。

実際、私が苦手な家庭科の宿題の縫い物も、夏休みの宿題の自由研究も、みんな母がしてくれ、考えてくれました。

だから私は、よそへ遊びに行く、ましてや一人で泊まりに行くなんて、空恐ろしくて出来ませんでした。ただただ、うちが大好きだったのです。

うちに居れば、気の利く母が何でもやってくれました。私が考える前に「こうしなさい、ああしなさい。」と指示を出し、とろい娘が自分でする前に、母の見事な手さばきでもう何でも出来あがってしまっているのです。

うちの中で一体私は毎日何をやっていたのでしょう?テレビを四六時中見ていたこと、簡単なお手伝いはしていたこと、そんな事ぐらいしか思い出せません。

何しろ私は、「素直で頭の良い十子ちゃん」でしたから、言われれば「いや」ということなく母の手伝いをしてました。でもそれは、掃除とか炊事とか、頭を使うものではなくて、ただただ母の言う通りに買い物に行ったり、機械的にハンコを押すようなそんな仕事ばかりでした。

私は、自分で考えるということをだんだん忘れて行った様です。

お勉強は違いました。テストの時の問題はもちろん自分で考えます。でもそれ以外は、すべて親や先生の言うなりでした。

2)自己主張しないと・・・

クラスメイトたちから、私はどう言う風に見られていたのでしょう?

多分、勉強はできるけれど、何を言っても手ごたえの無い、何を考えているのかわからない子供として写っていたことでしょう。

でも、中学、高校と、それなりに楽しんで卒業したと思います。成績はまあよかったので、「私は頭が良いんだ。」と思い、それが私の誇りだったようです。

高校進学の時、地元で一番難しいと言われていたN高へ本当は行きたかった。自分がどうしても行きたかったのではなく、私より成績の悪かった女の子が二人、クラスからN高へ行くことが決まっていたから、釈然としない思いがあったからというだけの理由で・・・。

でも私は、進路志望をN女高と書きました。多分先生が「成績から言えばN高の方が良いのではないですか?」と言って下さると期待していたのです。先生がそう言って下されば、「先生がそうおっしゃるなら・・。」とおもむろにN高に変更しようと思っていました。

ところが先生は、何にもおっしゃいませんでした。「わかりました。」とおっしゃっただけでした。

私はうちへ帰って思いきり泣きました。悔しかった!

今、先生のお気持ちを考えればすぐにわかります。未熟なところのある私がN高へ行って苦労するのは目に見えているから、温室のようなN女高を勧められたのでしょう。

自分で自己主張しないと後悔するという体験を鮮烈に覚えているのは、この時が最初だったように思います。

しかし、N女高に進んだ私は、そこで毎日を面白おかしく過ごすうち、またもや大事なことを忘れて行きました。

3)優等生から抜け出したい!

当時のN女高は、県下女子高のトップとして、近隣から優秀な女子生徒が通って来ていました。

中には真剣に人生の問題を考え込み、学生運動に傾倒していく生徒もいました。たまたまそういう一人と隣同士になった私は、自分の考えが幼いのを痛感させられましたが、そういう人はあくまで例外と信じることによって、自分を立て直していました。

高校時代の私の関心は、優等生から抜け出すことにありました。

放送部長の経験から放送委員会へ入った私は、気の強そうな雰囲気の先輩の多いその委員会にどうしても馴染めませんでした。そもそも私にとっては、「気の強い人」が脅威だったのです。

気弱な私は、いつも気弱そうな人を選んで付き合っていたのかもしれません。とにかく、気の強い人というのは、自分の主張をはっきり持っている人ということですから、自分に主張する何物も無いことを知っていた私は、もうそれだけで劣等感を感じて、無意識のうちに避けていたのかもしれません。

放送委員会の当番や部会を、よくさぼりました。とにかく、放送室へなるべく行かないようにしていました。もちろん、行きたくなかったから。でも、心の中では、「これで私はやっと優等生じゃなくなる。」と考えていました。

クラブ活動もしました。でも、今思うと本当に興味があって入ったクラブではなかったので、打ちこんでいた訳ではありませんでした。本当に好きなことなんて、当時の私には何もありませんでした。ただ、クラブの仲間は気の良い子が多くて、学園祭の前は学校に泊まりこんだり、それなりに楽しいと感じられる時間を持てたようでした。

ただ、私の中に小さい頃から付きまとっていた「みんなの中で浮いているような感じ」は、それを考えた瞬間に何倍にも増幅して、私の中にいつもありました。

N女高の3年間は瞬く間に過ぎました。この3年間に、せめて本でもたくさん読んでいたなら少しはまともな人間になっていたかもしれません。でも、私は本も読みませんでした。

読書は成績に関係がなかったのです。なぜか知らないけれど、現代国語はテストの前に漢字練習を30分もすれば、全く勉強しなかったし、本も読まなかったにも関わらず良い点数が取れてしまったのです。

成績さえ良ければいいと信じていた当時の私は、だからそれ以上本を読む必要を感じませんでした。

 

私は中学校まで、いつも祖父の隣に寝ていました。祖父が家族で一番、真実を見極める目のあった人だったと今になって思います。

「十子や、学校の優等生、社会の優等生にあらず、だよ。」

この言葉を、一体何度聞かされた事でしょう。いつも聞き飽きて、聞き流して、この言葉の持つ真実を深く味わおうとしませんでした。

テストが帰って来た日、通知表が帰って来た日、祖父はこの言葉を繰り返しました。

両親と言えば、私の成績が良かったのに有頂天だっただけでした。

 

大学は、両親の言うとおりの学校に決めました。そして、将来はうちを継ぐという訳です。

4)はじめての挫折、そして暗い自分・・・

大学に入って、一人暮しを始めました。もちろんひっこしその他一切合財は親がかりです。

大学にはいろんな子がいました。でも、一様に彼らはしっかりしていました。私が付き合い易かった気弱そうな子など皆無に見えました。

私は一番成績の良かった国語を捨てて、私立理系に進みましたので、実習の時間がありました。私はその時間が何より一番嫌でした。

実習というのは、実験のことです。もちろん班単位でしましたが、基本的なことは一人でやらなければなりません。小さい頃から母に頼って、手を動かす機会が極端に少なかった私には大の苦手な苦痛の時間です。

要領も悪いので、人一倍時間がかかります。とにかく何のためにこの実習をするのか、つまり先の見通しなどというものは立てる暇もありませんでした。目の前にあるこの難関をただただ我慢して我慢してやり過ごさなければならなかったのです。

むろんそんな訳ですから、実習で何をやっていたのか今思い出すことも出来ません。ただ、実習の評価もペーパーテストであり、そのテストでかろうじて合格して、落第を免れていたに過ぎませんでした。

いつも実習が終わると、もう辺りは暗くなっていました。

下宿に帰り、一人の夕食作り。(と言っても、毎日キャベツとハムをいためたようなおかずばかりだったようですが・・) もちろん、食事を一人で作るのは初めての経験でした。

学校が終わると、クラブの部室へ少々寄り、近くの繁華街に出て、おかずになるものを調達したり、ぶらぶら町を散策してから下宿にもどります。

基本的に、私はいつも一人でした。一人の方が気楽なのです。

友達といるときは、楽しくない訳ではないのだけれど、何か気を遣って疲れてしまう気がしました。特に大学の友達は、「気の強い人」が多かったみたいだし、とにかく友人との付き合い方がまだ良くわからなかった私には、負担に感じることの方が多かったのです。

例えば、Aさんと私が二人で話している時は問題無くても、そこへBさんなりCさんなりが加わって来た時、私はどういう態度をとっていいかわからなくなるのです。

その上、ひとたびあの「自分がみんなから浮いている感じ」を味合うと、それが頭から離れなくなり、もうみんなの言っていることなどわからなくなってしまうのです。

それに自意識過剰な私は、みんなといても「楽しめない自分」をいつも感じてしまっていました。

 

友人に痛切な一言を言われたのはその頃でした。

「十子さん、貴女はいつも「私ってわがままかしら?」って言うけれど、何を言っても自分がわがままかどうかしか気にならない人間って、本当は一番わがままなんじゃないの?」

その言葉を聞いたときの衝撃を、いくつになっても思い出します。

その通り!

私は生まれた時から、一人っ子でわがままに育ったと言う負い目があったので、いつも自分が他人の目にわがままに写らないかを絶えず気にしていました。それだけのために生きてきたと言う方が当たっているかもしれません。とにかく私の行動規範は、「人の目にわがままに写らないようすること」でした。

でもそれはすなわち、自分にしか関心がないというのと同意語だったのです。それを鋭く指摘された時以来、私は一層暗い人間になっていったようです。

そうです。大学に入り、一人暮しを始めてから、私はだんだん自分の根っこにある「暗さ」に悩まされ始めていたのです。

5)学校の優等生、社会の優等生にあらず

友達の前では明るくしていたけれど、本当の自分の暗さがたまらなく嫌でした。でも、それをみんなに気づかれるのが怖くて、いっそう明るく振舞って、疲れていました。

今もたまにそうですけれど、「人がみんな偉く見える病」にとりつかれ、自分をいじめてばかりいました。

「学校の優等生、社会の優等生にあらず。」祖父の言っていた言葉が、ふいに頭の中で踊り始めました。

私が「社会の劣等生」を自覚し始めたのは、この頃かもしれません。

そうなってからというもの、いくらかマシだったのは、本を読む習慣が出来たことでした。

友達に勧められればそれを読む。この人の本は古典だから、これくらい読んでいなくちゃ。本当には興味を持って読み進めたわけではありませんでした。情熱につき動かされて読んだ訳ではありません。

ただ「自分を変える方法」「明るい自分になる方法」、そんなタイトルを目にするととりつかれたように本を買い込みましたが、結局は「考え方を変えなさい。」「意識的にこうしなさい。」というものばかり。

「自分の意志で自分が変えられるような意志の強い人なら、こんな本必要ないじゃない!
それが出来ないから悩んでいるのに・・・・。」

本当に求めている本は、ついに見つかりませんでした。

大学四年間は、失意の中に過ぎました。入学した当時の夢も優等生の点数も費え、ぎりぎりの成績でかろうじて卒業しました。

就職は、親が勝手に決めていました。自宅から通える距離にあるU市にある職場でした。

そこで、私の劣等感は頂点に達するのです。

知識も経験も、何から何まで優れている先輩たちを目の前にして、私は呆然自失でした。

普通の人なら、自分が新卒なのだから出来なくて当たり前とのんきに構えることが出来るのでしょう。

人間的に幼い私は、ただただ気持ちばかりがあせり、簡単な品物の名前一つも覚えられず、また、棚の整理を言い付かって、自分には整理能力というものが皆無であったという事実に愕然とし、暗い海の中でもがいているような気がしました。

ある時、実習生が職場にやってきました。彼女はおっとりとして、気の強いタイプでもなく、大変可愛らしい子でした。でも、最初は出来ないいろいろなことを、だんだんに飲みこんで、自分のものにしていくのです。

「かなわないわ!」と思いました。

そして、私が任されているはずの仕事など、彼女にとっては朝飯前の簡単なもので、一日たたないうちに、もう彼女に教えることなど何もないことに気づいてしまいました。

「学校の優等生、社会の優等生にあらず・・。」

6)子供が出来ても未熟な親

その後も紆余曲折をくり返しながら、これも親が決めた結婚をしました。

幸いなことに大変優しい主人であったため、何度と無く精神的に救ってもらいました。

私は二人目の子供を出産してもなお、相変わらず自分の内にある「暗さ」が生み出すエネルギーの大きさに戸惑い、こんな母親から生まれた子供は不幸だと自嘲しながら毎日を暮らしていたのです。

言うことを聞かない子供に、つい感情的に手を上げてしまったことも何度もあります。そのたびに、自己嫌悪に苛まれ、私が生きている意味は一体なんだろうとつぶやくのです。

こんな自分を変えたい。出来れば生まれ変わってもう一度やり直したい。

母があんなに何でもやってくれなければ、私はもう少し手が器用だったに違いない。いつまでもうちにいる私を、もう少し友達のうちで遊んでくるように強く言ってくれたら、こんなに人付き合いが苦手にならなかったに違いない。

今考えて見ると、自分勝手で冷や汗が出るようなことを考えながら、私はなす術もなく、何かが私を変えてくれるのを待っていたのです。

7)坐禅そのものが救いだった!

その日はあっけないくらい突然やってきました。

私の前に立った一人の女性が「私は活禅寺で坐禅=座禅をしています。」と言ったのです。

昔の私なら、即座に「でも、私には向かないわ。坐禅は、強い人がより強くなるためのものでしょう?」と言っていたでしょう。

そう、大学時代私はある禅寺で、3日間の宿泊禅を経験し、どうしてもうまく坐禅=座禅が組めないで、落ち込んで帰った苦い経験があったのです。

そんな私がその日どうして活禅寺に行こうという気になったのか、今でも不思議です。
でも、その日が、私の人生の再出発の日になったのです。

仏教ではよく「縁」という言葉が使われます。縁が熟すとか、御縁が無かったとか、そういうことって確かにあると思います。タイミングと言ってしまえばそれまでですが、もっと運命的なものの力を感じます。

その頃まだ80代でカクシャクとしていらっしゃった活禅寺の徹禅無形大師は、毎日あたりまえのように皆の前で坐られ、提唱と呼ばれる御説法をして下さいました。

はじめてお寺に行くと、必ず和尚さんが一人ついて坐禅=座禅を教えてくれます。

正味50分間の坐禅ですが、最初は足は痛いし集中出来ないし、途中で何度も足を組みなおして坐り直します。

ほとんど何もわからずに坐った最初の坐禅=座禅でしたが、なぜか「明日も来てみよう。」と思わせる何かがありました。

その何かが、「私は坐禅=座禅で幸せになれる。」という確信に変わったのは、はじめてから10日目頃でしょうか。

坐禅=座禅を終わって(もちろんそんなに上手に坐れていたわけではありません。)気がついてみると

「あれっ?変だなあ」と思いました。

心の底から「ああ、幸せだなあ。」と感じている自分がそこにいたのです。


お寺に着く前は、いつも通りの私。いろいろな不安や自分の性格の暗さに悩んでいた私。

それが、坐禅=座禅を終えた途端に「そんなこと、どうってことないじゃない。大丈夫、心配しないでも私ならなんとかなるよ。」って自然に思えてきたのです。

そう、ここがポイント、意志の力で「こういう考え方をしよう。」「否定的な考えが頭に浮かんだら取り消そう。」というのではないのです。

ありのままの自分そのものに満足出来て、心の底からゆったりした優しい気持ちになれたなんて生まれて初めてでした。

そしてなんだかやる気が湧いて、すべてに前向きな生まれ変わった私がいたのです。

もう以前のように自分の中の暗さに悩まされることはありません。だって、楽しくて楽しくて仕方が無いのです。楽しいから笑うのです。無理して笑顔を作る必要はもうないのです。

坐禅を知ってから、「自分がわがままに見えないかいつも気にする癖」も無くなりました。今までは他人の言動に絶えずびくびくしていたのが、何を言われてもさほど気にならなくなったのです。「どう思われようが自分は自分」と開き直ることが出来たのです。

もちろん、坐禅をやって自分の手が器用になったわけではないし、仕事が早くできるようになったわけでもありません。でも、今まで自分の欠点と思って悩んでいたことが全く気にならなくなった。「大切な大切な世界でたった一人しかいない自分」として受け入れ、欠点も自然に愛することが出来るようになりました。

自分が気にならなくなった分だけ、他人に、より関心が沸いてきました。人と話して感激したり、驚いたり、嬉しかったり、切なかったり、人と話すことの喜びを初めて味わったような気がします。そして、だんだん自分の興味のある世界が広がっていったのです。

不思議な事はそれだけではありません。

なんだか回りの景色がとても美しく見える。いらいら、とげとげした心が消えて、人に優しくなれる。ふだんは目に留めない小さな昆虫や花や動物に話しかけていたりする。

和尚さんは、坐禅=座禅をすると心に余裕ができると言います。 それは凄くよくわかります。

無形大師は、「得た失った、勝った負けた、そんな事に煩わされない本当の自分になれる。」とも、
「坐禅=座禅をすると、その時、所に即した最良の行動が自然に出来る。」とも言われました。

徹禅無形大師については、大本山活禅寺でお尋ねください。大本山活禅寺のホームページ参照)

そうしてもう一つ、坐禅=座禅の素晴らしいところは、坐禅=座禅の後の幸せな気持ちがほぼ一日続いてくれるという事です。

坐禅=座禅は、だから毎日するのがいいのです、朝坐るのがいいのです。

絶対に最初は、貴方の近くの信用のおける禅寺で坐り方を習いましょう。

そうでないと、野狐(やこ)禅といわれる、まるで野狐が野原で坐禅を組んでいるような、一人よがりの坐禅=座禅になってしまう心配があります。

     

坐禅=座禅で一番大事なのは、呼吸の仕方です。

正しい呼吸をするためには、正しい姿勢でなければな

りません。

その、一番大事なところは、必ず正しい禅の和尚さんについて習ってください。

わからなくても必ず、しばらくはあきらめずにお寺に通ってみてください。

「わからないけど、なんか気持ちが落ち着く。」とか、「なんとなく、終わったときの感じがすがすがしい。」とか、そんな気持ちが起こればシメタもの。

「でも50分なんて時間、そうそう取れないけど・・・。」 それも心配ご無用!お寺で習って慣れてくると、だんだん短時間でこの「ああ、幸せ!」っていうこの感じに到達できるようになるはず。

最初は上手に出来ないから50分かかっても当然うまく坐れませんが、慣れてくると20分以内、和尚さんクラスだと坐るとたちどころに深い坐禅=座禅の呼吸が出来るようになるのだそうです。 

坐禅=座禅という宝の山は、貴方のすぐそばに眠っています。

「本当に誰でもそんな気持ちになれるの?」

このページを開いてくれた貴方は、少なくとも一度は自分に自信が無かったり、自分を情けなく思ったり、ビクビクオドオドしたり、イライラしたりで、辛い気持ちになった事がある人ばかりではないでしょうか?

だから幸せになりたいのでしょう?

それなら大丈夫。そんな気持ちが強ければ強いほど、貴方は坐禅=座禅の良さを身をもって感じられるのです。

もちろん中には「坐禅=座禅をしても何も変わらない。」という人がいるのも事実です。

そう言う人は決まって、もともと、とても陽気で気の強い人です。だから、坐る前から明るい気持ちになれているので違いがわかりにくいのでしょう。

そういう人でも必ず落ち込むことがあるはず。そんな時初めて、坐禅=座禅の良さに目覚めるのかもしれません。

最後に、あたりまえで、一番大切なこと!

坐禅=座禅は、何万回話を聞いても、何万回本を読んでも、決して身につかないのです。

まずは、だまされたと思って     

お近くの禅寺に行ってみて下さい!

 

最近とても良いホームページを見つけました。「雲水ネット」と言い、全国各地の坐禅ができるお寺や情報を紹介しています。リンク集にも載せてありますが、飛ぶのが面倒な人にはここからも・・・。なんと、太っ腹な管理人さんは、商用サイトである当薬局のホームページも相互リンク集に載せてくださいました。感謝です!

あ〜あ目が疲れた! そろそろ雲切目薬を一滴! 


いかがでしたか?

一人でも多くの方が坐禅=座禅に興味をもって頂けたら嬉しいです。

最後に、前出のように笠原十兵衛薬局17代店主は善光寺信徒総代も勤めます。ここに大本山活禅寺

のホームページのみ掲載するのは不公平となりますし、無宗派の善光寺さまだったからこそ寛容に

お許し頂けたと感謝致しております。また、もともと徹禅無形大師は善光寺のある宿坊を頼って長野にいらしたのです。  

 

謹んで・・・・・・・。善光寺公式ホームページへ

 

けて坐禅=座禅と抗うつ薬で幸せになった朝原九子さんの証言を読む                                     

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