お茶の間 けいざい学 <5>
 貨幣の誕生──交換を媒介の共通財
 

 交換することで互いの食料を融通し合い、飢えのリスクを回避し、さらに食卓も多様にできることを発見した人類は、ますます交換を求めて、ほかの地域を動き回ることになりました。

 はじめのうちは物々交換をしたり、ブリとシカ皮のポシェットとを交換したりしました。やがて、交換経済が発達すると、直江津の民にイノシシの肉を分けてあげ、交換にもらった貝のネックレスを首に下げた戸隠の民が、善光寺平に下りてくるようになります。
 善光寺平のリンゴを食べたくなった戸隠の民が「リンゴを分けてくれ」と言うと、善光寺平の民が「お前の首にあるきれいな貝のネックレスと交換ならいいよ」と言います。ここで平和的に交換が成立すれば、人類は交換を媒介する共有財産を持ったことになります。
 誰もが美しいと感じて欲しくなる物で、腐らなくて、持ち運びが便利な貝のネックレスのような物は、本来の直江津の民ではなく、別の生活圏の民に渡しても食料が手に入ることを戸隠の民は発見しました。
 「貨幣」の誕生です。
 いろいろなエリアにいる人々と交換をする場合、共通に人々が欲しがる物があり、これを媒介にすれば、多様な物と交換が可能になると人々が知り、重いシカの肉や、運んでいるうちに腐ってしまうブリの代わりにこれを持って、交換に出掛けようと思った瞬間に、貨幣が誕生したのです。
 はじめは美しい貝や、黒曜石の矢じり、勾玉(まがたま)だったりしたのでしょうが、共通に交換を媒介できる貨幣の発見で、人類の交換経済はその範囲を飛躍的に拡大することになりました。
(2002年10月5日「長野市民新聞」)        
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