お茶の間 けいざい学 <6>
 市場の発生──物産持ち寄り交換
 

 交換経済の拡大は、やがて戸隠の民がシカの肉を持ち、直江津の民がブリを持ち、善光寺平の民が芋を持って、一カ所に集まれば、一度に肉と魚と野菜が交換できるとの考えを生みました。
 「毎月、満月の晩に、野尻湖の湖畔に集まろうよ」となって、皆が同じ日にそれぞれの物を持ち寄るようになると市(いち)が発生します。
 市場の誕生です。

 

 今でも四日市や十日町などの、市があった名残を示す地名が日本中至る所にありますが、これらは日本中で人々が決まった日に物産を持ち寄り、活発に交換活動をしていたことを示しています。
 市場にいろいろな物が集まりだすと、人々は見たこともない食べ物や美しい織物を目にするようになり、食べてみたい珍しい食物や身につけたい美しい布などに新たな欲求を呼び覚まされるようになります。市場にはますます多様な商品が運び込まれるようになります。
 新商品や珍しい商品の情報が入る市場には、交換を目的としない人々も続々と集まり、商品の情報以外にも周辺の部族の動向や、どこの集落にはすごい美人が居るなどの情報も交換されるようになりました。
 市場は同時に、人々に交換経済のルールと、物の価格、使い方、調理の仕方などを教える学校の役割も果たすようになりました。
 理論に基づき、人工的な経済のルールを作って運用している計画経済の国以外、今でも自由経済の国で市場のない国は世界にありません。
 古代に自然発生的に生まれた市場は、その役割と機能をそのまま維持しながら21世紀の今でも世界中の観光客を引き寄せる楽しく活気のある場所でもあります。
(2002年10月12日「長野市民新聞」)        
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