お茶の間 けいざい学 <15>
 金利の誕生──回収不能に備えて
 

 金融がビジネスになると、当然に金融業者が誕生します。昔の通貨が貝ややじりであったとしても「人にお金を貸す」ということは何割かの確率で回収できないケースが発生する危険を伴います。
 友人に貸す場合でも翌日に彼が亡くなって払えなくなるリスクは抱えているのですが、そこは友情のこと、回収できなくてもあきらめはつきます。

 しかし、赤の他人の場合はそうはいきません。まして、お金を貸すことを業務として始めた人にとっては、「回収不能」は次に貸す原資を失って、商売を続けられなくなることを意味しますから、担保や保証のほかに、リスクをカバーする保険料と、商売を継続していくための手数料はぜひともちょうだいしなくてはなりません。
 金利の誕生です。
 実は、金利は保険料や手数料に相当する部分のほかにも、将来の価格と現在の価格の差(現代ではインフレ率といいます)をカバーしている面や、収益の分配を主張している面など多くの要素が絡み合っており、ここでは十分な説明ができません。
 例えば、収益分配の面では土地や生産手段を貸した場合に、そこから生まれる生産物の分け前を頂くのは当然とする考えがあります。すると、金融にも現代でいえば「設備投資」といわれる生産手段の購入資金を貸し出している面があり、そこから収益が出たら利益の分け前にあずかって当然との考えができます。
 金利には人が働かないで、ただでもうけているように見える面があり、イスラム教では金利を禁じています。シェークスピアの「ベニスの商人」、尾崎紅葉の「金色夜叉」などのお金と人にまつわる数々のドラマも生み出してきました。いつの日か詳しくお話ししましょう。
(2002年12月14日「長野市民新聞」)        
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