野尻湖畔でスタートした“北信濃市場”で、当初最も人気のあった“通貨”が直江津海岸で採れる貝のネックレスだったとしても、この市場に安曇野や新潟、糸魚川などからも人や産物が集まりだしますと、ある人は糸魚川に注ぐ姫川から採れるヒスイを持って訪れ、ある人は佐渡で産する砂金を持って来るかもしれません。
貝のネックレスも、小さい物と交換されるときには、ひもを外されバラバラの一つ一つの貝となって流通を始めたかもしれません。
ある期間は、いろいろな物が通貨として混在して使われたでしょうが、より広いエリアで、より多くの人々に支持される物がだんだんと主要な通貨の地位を確保するようになってくるのは自然な流れだったでしょう。
最後に残ったチャンピオンが金(きん)でした。人類の歴史の中で最も長く、広く通用した通貨。
金の登場です
金は美しく、さびない上に限りなく薄く加工して装飾品に使えました。あたかも粘土の塊のように分割したり、固めたりすることもできます。
産出量が少ない上に、紀元前のエジプトをはじめとして、非常に古くから世界中で珍重されてきました。
腐らず、さびない、持ち運びに便利、分割が可能、どこの誰でも欲しがるという、通貨の条件をすべて備えていました。
こうして金は、同じような条件を持った銀と並んで、人類が発見した市場経済の中での通貨としての地位を着実に固めていきました。
通貨は同時に価格の表示、交換の決済・清算、価値の保蔵などのさまざまな機能を獲得しながら、経済社会の中で行われる人間の悲喜劇の重要な脇役に育っていきました。
(2002年12月28日「長野市民新聞」)
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