通貨が金塊や砂金のままで通用したと仮定すると、取引のたびに重さを量る必要があり、同時に金の品質を確かめる必要もあります。大変にわずらわしいことになります。
ある程度一定の品質の金を、ある重さに分割して固定してしまえば、非常に便利になります。
今でも地方の豪族の屋敷で、家を改築しようと敷地を掘ったら、かめに入った小判がざくざくと出てきて、家の改築資金に、お釣りがきたというような話がときどき新聞に出ます。うらやましいですね。こういう方は祖先に感謝しましょう。
市場で通貨の役割を果たしたのは、初めは同じ大きさの小粒の金の塊だったかもしれませんが、やがて信用のある商人や権力者が刻印などをして、流通させるようになりました。
コインの発生です。
実はコインの発生には、別の意味がありました。コインが誕生して時間がたつと、10グラムの金塊が市場で1両の時代に、金が5グラムしか含まれていない小判が1両で流通するようになったのです。
コインを造る人は大もうけできたでしょうが、金が5グラムしか含まれていない小判が10グラムの金塊と同じ価値で流通するということは、コインの上に実際の価値に加えて、信用としての名目の価値が乗って流通を始めたことを意味します。
人々は気付かないうちに、価値の裏付けのない信用をコインに乗せて流通しだしたのです。
このことは、次の兌換(だかん)紙幣や不換紙幣の登場に道を開くもので、千円と印刷されただけの紙切れを息子に渡すだけで、肩もみを10回もしてもらえるお父さんの幸せそうな顔に、息子をだましているとの疑問が浮かばない不思議さにも応える道なのです。
(2002年12月28日「長野市民新聞」)
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