お茶の間 けいざい学 <23>
 紙幣の価値──築かれた神話と夢
 

 ここで、市場経済が育ってきた過程を振り返ってみましょう。経済はすべて先人が長い生活の営みの中で工夫し、発見して積み上げてきたものです。
        

 紙は、西暦105年に漢の蔡倫(さいりん)により発明されたとされますが、初めのころは紙に何かを書いて渡しても、誰も紙以上のものとは考えてくれなかったでしょう。今では手形や小切手が発達し、最終的に、政府が何の裏付けのないまま印刷した一片の紙切れを、わたしたちは価値あるものと全員が信じて、日夜、悪戦苦闘しています。
 不思議ですねー。
 実は、長い間の取引慣行と、各種のトラブルを克服する過程で、人類はさまざまなことを学びました。
 一番重要な学習は、経済の中にある価値は、しょせん人々の頭の中にある神話、または幻想でしかないということです。
 華美を嫌う修道女にとってのダイアモンドはしょせんガラス玉にすぎません。大人の勲章も子供にとっては胸につけたビール瓶のフタ以上のものではないでしょう。肥満に悩む人にとってはマグロのトロも、霜降りの牛肉も嫌悪する食材でしかないでしょう。
 われわれが「価値」と信じているすべてのものは幻でしかありません。
 現実に兄弟が血で血を洗うような相続争いをして手に入れた土地も、放水車とダンプ車を突入させて地上げした土地も、土地神話の夢が崩壊してみれば、何の価値もないばかりか、酔いざめの苦い記憶が残る一瞬の夢でしかないでしょう。
 実はわれわれが日々、命の次に大切と思っている紙幣の価値も、長い時間をかけて築き上げられた神話と夢でしかありません。
 しかし、同時にこの神話を全員が信じてくれなくては現代の市場経済は成立しないのです。
(2003年2月15日「長野市民新聞」)      
      back  お茶の間けいざい学 目次  next