長野駅で朝早く1時間も並んで新幹線の席を取った若者「アリ」君がいます。案の条、車両は始発から満員です。
軽井沢から乗ってきた具合の悪そうな老人が言いました。
「若いの、わたしにその席を3000円で譲ってくれないか」
東京でうまい物が食べられると思い、ここで若者がこの席を譲ると、彼は席を取るためにホームに並んだ1時間の努力に対する報酬を得たことになります。
一方、朝寝坊して昼間の新幹線に慌てて飛び乗った若者「キリギリス」君を考えてみましょう。
乗った車両はがらがらだったとします。意外なことに上田駅から団体がぞろぞろ乗り込んできて、佐久平駅では車両は満員になりました。同じことが軽井沢駅で起き、彼がやはり3000円で自分の席を老人に譲ったとすると、彼は労せずに3000円を手にしたことになります。
不労所得の誕生です。
実は、前回触れた地代の発生には2種類あり、荒れ地を開拓し、長い年月かけて良い野菜が多く取れる畑を作った人が、これを貸して地代を取っても、この地代は苦労の後払いであって、不労所得とは言いません。
何も努力しないで、市場の真ん中で商売をしていたら、だんだん市場が大きくなって、市場の外れで商売している人が「地代を1万円払ってもいいから貸してほしい」と言い出した場合は、市場全体が発展して生まれた余剰を、濡れ手で粟(あわ)のようにして手に入れたので、不労所得となります。
金利や地代の発生には、本来の「取引すると両者の利益が拡大する」という経済の原則のほかに、経済の発展に伴って生まれた余剰を誰が手にするかという分配のルールから発生しているものがあり、地代にはこの両方が混在しているのです。
(2003年3月8日「長野市民新聞」)
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