高度成長のころの日本で、田舎から東京に出た大学生が最初に世の矛盾を感じたのは、都会で払う家賃の高さでしょう。
当時の高い地代の理由は、高度成長の開始とともに富と人口が太平洋ベルト地帯に集中し、その結果、東京近郊の農家には労せずして巨大な資産所得が発生していたからです。
こうした側面からもうかがえますが、人類の経済に対する態度は、2通りに分かれてきました。
電車の中で病気の老人に席を譲る代わりに、なんの苦労もなく3000円をもらったキリギリス君のことを前回、書きました。その幸運を認めて、
「人生は得することも損することもある。個人が自由に生産したり、採集したりした物を市場に持ち込んで、流通や分配を行う自由な市場の機能を認めるなら、電車が込んできて偶然に得をしたキリギリス君の幸運も認めざるを得ない」
「老人は3000円払っても座る方が健康上から必要だと考え、、自分から申し出たので、老人もハッピー、キリギリス君もハッピー、乗ってる人の誰も迷惑を受けていない」
このように考える人がつくった国が自由主義経済圏と呼ばれ、東西冷戦の時代には西側諸国と言われました。
一方、「朝早くから並んで席を取ったアリ君が3000円もらうなら良いが、偶然に席に座わったキリギリス君がもらうのはおかしい。3000円は車内に空きがない状態をつくり出した乗客全員の結果なので、キリギリス君は手にした3000円で缶ジュースを購入、乗客全員に分けなくてはいけない」と考えた人々がつくった国が計画経済の国と呼ばれ、冷戦のころには東側諸国と称されました。
人が働かないで得た不労所得を国や社会のものとすべきか、個人のものとしても良いかが、2つの陣営の重大な分かれ道だったのです。
(2003年3月15日「長野市民新聞」)
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