お茶の間 けいざい学 <28>
 活力か平等か──今後も模索は続く
 

 電車の中で偶然に病気の老人に席を譲って手にした3000円程度なら問題は少ないのですが、国家や社会の中で、膨大に発生する不労所得を個人が得ても良いとすると、どうなるのでしょうか―。
        
 貧しい人と豊かな人の差が広まって、社会に階級が生まれ、非人間的な生活を迫られる人が出たり、不必要な富を求めて海外に戦争を仕掛けたりする国が出ると、東側の国々は考えました。
 一方、西側の国々は、不労所得のような市場で余った富を政府が独占すると、官僚機能や国家が過剰に強くなって、社会の活力や個人の自由が侵害されると考えました。
 皆さんはどう考えますか。
 89(平成元)年にベルリンの壁が崩壊し、マルクスや東側の国々が考えた経済体制では、個人や私企業の自由な経済活動や創意工夫が生まれなくて、官僚機構が肥大化、社会が停滞してしまうということになりました。
 しかし、今でも世界に貧しい国がたくさんあり、飢えて死ぬ子供や、売られていく女性がいる限り、マルクスや東側の国々が訴えようとした貧富の差の拡大に伴う悲劇が解決されたわけではないのです。
 東西冷戦に勝利した自由主義経済の諸国は、計画経済や共産主義経済は失敗したと言っていますが、マルクスや社会主義経済学者が突きつけた問題に西側諸国や自由主義経済が答えをだしたわけでもないのです。
 その意味ではこれからも経済学の模索は続くでしょう。私たちも、もっと経済を知り考える必要があります。
 個人の日々の生活の積み上げで出来上がってきた経済ではありますが、同時に国と国、民族と民族の間の欲と欲のぶつかり合いから生まれる国際紛争や戦争の原因を考えることができる学問だからです。
(2003年3月21日「長野市民新聞」)        
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