(1)目前に置かれた財とサービスの最適バランスを実現する市場原理には、長期的な観点から人類の安全や福祉を考える知恵がビルトイン(内蔵)されていませんでした。
(2)市場に参加する人々には平等の権利と義務を認めた市場原理も、市場の参加者であると認められない人々に対しては、競りに掛かる商品としての地位しか与えることができませんでした。
この2つのことは非常に重要です。
綿花の需要が急上昇したかつての米国で、暑さに強く安い労働力のアフリカの黒人を大量に「輸入」することは、その時点の市場原理から言えば、全くの真理でした。
しかしその結果として、現在の米国が100年以上にわたって払い続けている差別やスラム、貧富の差、治安の問題などの社会的コストを、その当時の市場が判断することは市場の知恵として、まったく不可能でした。
奴隷を競り台の上に立たせ、母と生まれたばかりの子を別々の農園経営者に競り落とさせることは市場原理から言えば、何ら不思議ではありません。それは、奴隷は商品であって市民ではないと考える限り、当然の原理だったのです。
市場は取引に参加する市民には常に平和と平等を求めます。それが市民意識を誕生させ、国王の徴税権を制限しようとする市民革命や議会の誕生となり、最終的には民主主義という制度の誕生を促しました。
しかし、市場が持ったこの2つの限界は、経済を考える者が常に心に留めておく必要があるテーマといえるでしょう。
(2003年8月16日「長野市民新聞」)
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