お茶の間 けいざい学 (51)
 平和を希求する市場──豊かさが持つ不幸

 この連載では経済について、主に市場の交換を中心にこれまでお話ししてきました。

 市場の経済は、見てきたように非常に平和的です。 
市場に参加する人々が平等な立場で、双方にメリットがあると考えたときに売買が成立し、お互いが幸せの量を増やしているともいえます。
 実は市場で発達した商業資本は、貧富の差を広げることはあっても、暴力や権力で、市場に圧力を掛けるようなことはしませんでした。市場から皆が逃げ出して、市場が死ぬからです。
 市場が死ぬことは計画経済の失敗で見たように、人類の歴史が、ある所では食料が余っているのに、別の所では餓死者が出るような石器時代以前の状態に戻ることを意味します。     
 市場経済を発展させてきた市場経済の本能は、常に平和と参加する人の平等を求め続けています。 
 しかしそうすると、人類の歴史が略奪と侵略、殺戮(さつりく)と破壊で彩られていることの説明ができません。
 実は経済には別の側面があるのです。経済を、市場を中心とした流通面から見れば、戦争は起こるはずがないのですが、生産面から見ると、人類の歴史は、科学技術、生産技術の革新によって生まれた過剰生産物をめぐって戦争を繰り返してきた歴史に見えます。
 連載の後半は、道具の進化に伴い変化してきた農業や工業を見ながら、物をつくることで利益を得ようとする産業資本が、生産技術の向上で過剰となった生産物のはけ口を求めて海外に進出したり、逆に生産物の原料を求めて他国を侵略したりした歴史を見てみましょう。
 物が豊かになることがいかに不幸かという、経済の持つ悲しい側面を語らなくてはならないでしょうけれど・・・・。
         (2003年8月30日「長野市民新聞」) 
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