稲をつくる田は、水の平面が維持できる範囲で、必ず四方を畦(あぜ)に囲まれます。そのために、個人個人が田の所有権を主張しやすい構造となります。
一方で、稲を育てる水は上の田から下の田へと流れるので、水の管理に関して起こる「水争い」のような紛争を解決する強い調整力も必要とされる社会でもあります。
また、稲作は代かき、田植え、草取り、水温管理、稲刈り、脱穀、土起こしなど手の掛かる作業から成り立っています。
田の雑草の草取りは、同じ時期に一斉にしないと意味がありません。例えば、一日でも雑草取りが遅れた田があると、そこから下の田へ雑草の根が流れたり、種がこぼれてしまいます。
稲作は同じ作業を同じ時期に同じように行うことを強制する産業なのです。
また、勤勉でない人間がいると雑草だらけの田をつくってしまう可能性があり、集団の中で同じレベルの勤勉さが要求される社会でした。
今でも日本社会の特徴といわれる勤勉さ、横並び、終身雇用、年功序列などは稲作の文化がつくり上げたともいえます。
稲作文化は水の管理をめぐる争いを調整する機能や、専門に脱穀の道具をつくる人間、もみを保存する俵や蔵を造る人間などを生みました。
稲作文化は共同作業や勤勉に働くことを強制する一方で、共同作業の中で生まれる役割分担の思想を生み、その後の職業分化への道を開いたのです。
(2003年11月22日「長野市民新聞」より」)
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