この全体主義と個人主義の対立は、経済思想だけでなく、その後の社会の政治形態や人の生き方をめぐる大きな対立点の始まりだったといえます。
稲作は水をめぐっては共同作業に根差した産業でありながら、田の形態を見ると、個人個人の所有を認めても何ら問題のない構造を持っている産業です。現実に、勤勉に田の手入れをした田の収穫量ほど多くなる産業でした。
共同作業が絶対に必要である一方、個人の勤勉さや能力、体力の違いも認めないと社会を構成する人々の納得は得られません。
稲作は結局、その後の社会が追い求めた「結果の平等」か「機会の平等」か、「等しく働き等しく分配する社会」か「機会が均等なら、個人の能力の違いから生ずる結果の不平等は容認する社会」か、という人類の永遠の課題を内包していた産業といえます。
この課題についての論争は、今でも世界中で続いています。
「経済的な平等を目指す全体主義」が良いか、「個人の財産私有を認め、個人の経済活動を認める個人主義」が良いか。この2つの考え方は世界中の政党間や階層間で、今でも社会の方向を決める基本的な対立点となっています。
経済学の分野でも常に論争される「競争優先か福祉優先か」「成長優先か安定優先か」などの基盤となる考え方でもあります。
(2003年12月6日「長野市民新聞」より」)
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