リバプールから洪水のように運び出された綿織物と、同じ港に原料として洪水のように荷揚げされた綿花が、20世紀の大きな不幸を導いたという深い認識と洞察からスタートした全く新しい運動でした。
暴力と抑圧に対して徹底的な非暴力を貫くことで、国の独立が達成できるとする理想主義型の政治運動だったのです。
ガンジーは常にインドで織られた白い綿布を身に着け、どこでも誰の前でも黙々とチャルカ(糸車)を回し、綿糸をより続けました。
今でもわれわれが目にする写真の中のガンジーは黙々と糸車を回し、綿の糸をよっています。
20世紀の世界の諸問題が英国の産業革命から生まれ、その象徴が過剰な綿工業の生産力のはけ口を求めた英国の海外進出であり、インドの植民地化であったことをガンジーは無言で世界に語り続けたのです。
1930年、ガンジーはインドに塩の製造を禁じ、そこから30%の専売税を取っていた英国に抗議するため、380キロに及ぶ塩の大行進を行い、ダンディーの浜辺で自ら塩を作りました。
ガンジーの抵抗運動には、産業革命が生んだ経済構造の変化と、これに伴って生まれた人類の不幸への深い洞察があったことがここでも分かります。
現代のわれわれは、産業革命を中心とした工業分野での飛躍的な生産性の増加が生み出した過剰な生産力に苦しむという、石器時代には考えられなかった時代を生きているのです。
(2004年2月7日「長野市民新聞」より」)
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