お茶の間 けいざい学 (74)
 豊田佐吉──織機で近代に挑む

 ガンジーが綿工業の飛躍的な生産力増加をきっかけに始まった「近代」と戦っているころ、日本でも綿の糸車を使い近代との戦いを始めた人物が誕生しました。

Hoki

 豊田佐吉です。豊田は鉄製の織機で先行するイギリス綿工業に対し、独自の工夫を加えた木製の織機を開発して、近代に挑みました。
 ガンジーが手繰りの糸車を延々と回し続けることで近代と戦ったのに対し、豊田は日本的な工夫で先行する近代に敢然と挑戦しました。
 ガンジーが「変わらないこと」で近代を克服しようとしたのに対し、豊田は「変わること」で近代を超えようとしました。
 この発想の違いは民族のDNA(デオキシリボ核酸)の違いとして今でも延々と生きており、インドは変らないことで西欧文明に抵抗していますし、日本は変わり追い付くことで西欧文明を乗り越えようとしています。
 豊田が木製人力織機を開発したのは1890(明治23)年。その39年後に本家英国に自動織機の特許を販売しました。豊田が英国に始まった近代に勝った瞬間です。日本がなぜ植民地化されなかったかに回答を与えた瞬間でもありました。
 後に豊田の子、喜一郎はこの特許の販売代金で自動車工業を起こし、今度は自動車産業で世界に覇をとなえる米国を凌駕(りょうが)することになります。
 この過程は、名古屋市にあるトヨタ産業技術記念館で見ることができます。産業革命が何であり、日本はこれをどう克服してきたかが、絵巻物のように見学できる優れた施設です。
 一企業の歴史ではありますが、トヨタの歴史は日本という国家が産業革命を乗り越えてきた過程そのもので、同じことが日本のさまざまな分野で行われていたといえます。
             (2004年2月14日「長野市民新聞」より」) 
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