海外に進出した英国は中国からウーロン茶の輸入を始めました。
中世のヨーロッパがインドや中近東を目指した理由は、寒い冬の保存食である塩漬肉やハム・ソーセージをおいしく食べられるコショウを手に入れるためでした。
いつの時代でも海外に進出する人々の動機は生活必需品ではなく、日常生活では必要とされていないものが多いのです。それは海外旅行に行く日本女性のショッピングの動機が、日常では必要としないブランド品が中心となっているのと同じメンタリティなのです。
ウーロン茶は緑茶を発酵させたものですが、紅茶はこのウーロン茶が赤道を越える段階で、さらに発酵したものといわれています。
英国は当初は中国から買い付つける茶の代金を銀で支払いました。しかし銀が不足してくると、インドに売りつけた綿織物の見返りにアヘンを栽培させ、これを中国に売りつけ、中国から銀を回収する方法を考えました。
インドに綿布を売り、代金のアヘンを中国に持ち込み、代金は銀で受け取って英国へ持ち帰るという三角貿易の形が完成すると、中国の銀は洪水のように英国に流れるようになりました。
アヘン戦争は、アヘン患者の中国人を救おうとするヒューマニズム的な動機よりも、中国の銀が流失して、清の国家財政が破たんしてしまうことや、銅と銀の交換比率が変動して庶民の重税感が強まるなどという、清国側のせっぱつまった事情から始まった面が強いのです。
(2004年2月21日「長野市民新聞」より」)
back お茶の間けいざい学
目次 next
|