英国のアジアへの進出は植民地、米国を失った代償だった可能性もあります。
科学技術の進化により社会や産業の構造は変わっていくのですが、同じ段階の産業構造を持っている社会では、同じような問題と、同じような紛争が起きます。
1861年発生の米国の南北戦争も、その後に成人したカンジーが英国との間で直面したトラブルとよく似た構造を持っていました。
米国北部の諸州は英国で起こった産業革命をいち早く受け入れ、工業化が進展しました。
一方、米国南部の諸州は開拓者が切り開いた大農園で綿花やタバコを栽培していました。
北部を工業国家英国、南部を原料供給国インドと考えれば、南北戦争の構造は、そのままインド独立戦争の問題とダブります。同時に結果も工業化グループの勝ちでした。
炎天下で広大な綿畑の綿花を摘むのは過酷な労働です。アフリカの黒人を輸入して綿花を摘ませることを考えついた理由も、黒人が酷暑のアフリカ出身だったことも大きかったことしょう。
産業の分化がピラミッド型に進むと、それぞれの階層での利害が尖鋭化し、紛争や戦争が起こるようになるのです。
(2004年2月28日「長野市民新聞」より」)
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