北部には綿花を摘む奴隷労働力は不要ですが、南部では奴隷労働力なしでは農園経営(プランテーション)が成立せず、経済の維持ができません。
リンカーンの奴隷解放はヒューマニズムから出た面もあるでしょうが、理念や博愛だけで人々を命をかけた戦いに駆り立てるのは無理でしょう。
60万人が亡くなった南北戦争の真の原因は、付加価値の高い加工産業を持つ側と、付加価値の改善が見込めない原料供給側との間に発生した利害衝突であると考えると、インド独立戦争やアヘン戦争で起こったことが、米国の南北戦争でも起こったことが分かります。
交換を目的とした市場では相互にメリットがないと取引が成立しませんから、市場の経済は常に平和的であり、相互が納得した状態で動きます。
ところが物を作る産業分野で工夫が進み、少ない資本や労働力で、大量の商品が作れるようになると、大量に発生した余剰生産物を誰が手にするかの紛争が起きます。
同時に工業分野で生産方法の革新が起きると、生産過程の分化も生まれます。綿布を大量に作るためには、綿花を栽培する人、綿花を摘む人、綿花を運ぶ人、綿糸をよる人、綿布を織る人へと仕事が分化する必要が出てくるのです。
生産工程が上下に分業化することで、量や価格をめぐっての利害対立が生まれ、貧富の差が拡大していくのです。
産業革命後の19世紀から20世紀にかけての世界の歴史が、戦争と革命の歴史に見えるのはこれが原因です。
(2004年3月6日「長野市民新聞」より」)
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