過剰が戦争を起こし、国と国、民族と民族の間に支配と被支配の関係を生むことを知った世界の人々は、支配される側にならないために一生懸命に物を作り始めました。生産物をより多く持つ国の方が強く、余剰生産物が少ない国は帝国主義戦争に負けて、植民地となってしまうことを知ったからです。
過剰に悩む世界の人々が、過剰をさらに作りだす世界に向かって一斉に走りだしたのです。
世界全体が過剰に悩んでいるのに、個々の国や民族は他国や他民族の風下に立ちたくないとの理由から、さらなる過剰に向かって全力で走りだすという不思議な世界が誕生したのです。
これを難しい言葉では合成の誤謬(ごびゅう)といいます。今でも価格低下に悩み赤字を出していながらもライバルがつぶれるまでは安売りをしなくてはならない業界が日本にたくさんあります。これも同じ構造といえます。
現代の経済学の不幸は、実際の社会は豊かさや余剰に悩んでいるのに、いまだに貧しさを解決しようとする研究をしていることです。
家もあり、着る物もタンスにいっぱいで、冷蔵庫の中には冷凍食品が山のようにありながらも、なお老後を心配し、年金の増額を希望する人がいっぱいいる国のようなものです。
産業革命以降の人々は、対抗上の理由から、余剰に悩みながらも、さらなる余剰に向かって走る世界を生きてきました。
実はこの解決方法を人類はまだ発見していません。この解決には経済学ではなく、人類の価値観を大転換させてしまうような、哲学の飛躍が必要ではないかと思います。
(2004年3月20日「長野市民新聞」より」)
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