社会の中で常に一定割合の資金を強制的・恒常的に吸い上げる税制の誕生は、人の体の中で、血液を循環させる心臓と同じ機能が社会の中に生まれたようなものでした。
金(きん)と交換するから価値があるといって循環させていた紙幣の兌換(だかん)が停止された後でも、紙幣が今のように流通している最大の理由は税制にあります。
税金は強制力と罰則を伴いますので、財産や給料を差し押さえられないためには、すべての国民が働き紙幣を稼ぎ、これを政府に納める必要が発生しました。
何の保証もされていない不換紙幣を、なぜ人々は貨幣と信じて受け取るのでしょうか。
金と交換せきるというメリットを強調して紙幣を流通させた「飴(あめ)の政策」が兌換紙幣制度とすれば、紙幣を稼いで政府に提出しないと刑務所に入れますよというデメリットを強調して紙幣を循環させている「鞭(むち)の政策」が今の不換紙幣といえます。
日本の神社で売っているお札(ふだ)は「買うとご利益がありますよ」と紙の上に乗っているプラスを主張し、中世ヨーロッパで教会が売りだした免罪符は「買うとあなたの罪が赦(ゆる)されますよ」と紙の購入で埋まるマイナスを主張しています。
日本の神社のお札が兌換紙幣とすれば、今の紙幣は徴税義務からの免除を売物にするお札(さつ)ですので、中世の免罪符に似ているといえます。
金との交換を廃止された紙切れが現在でも循環している最大の理由は、国の徴税権に裏打ちされているからなのです。
(2004年5月29日「長野市民新聞」より」)
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