こうした不思議さは、経済学の持つ不幸に原因があります。研究する人の価値観や正義感から離れられない経済学は、理論の陰にその理論を主張する人の利害や正義感が常に透けて見えるようなところがあるのです。
研究者の価値観から離れられない学問である経済学では、その学者の主張が弱者のためか、国家のためか、地球全体のためかによっても内容が変わります。
経済は一方の利益が他方の不利益になる関係が多いので、理論を展開する学者の正義感が自分個人のためだったり、狭い身内の利益だったりすると厄介なことになります。
若い頃は年金の増額に反対していた経済学者が老齢になったら、急に年金の増額を主張し始めるケースなどは珍しくないのです。
金融政策や景気対策でも資産を持っている企業や階層はインフレを誘導する政策に賛成します。しかし資産を持たない人々はインフレ政策に反対することでしょう。
身近でも、仲の良い職場の同僚が飲み屋で突然にけんかを始めた理由が「土地は上がった方が良いか、悪いか」の議論で、一方はローンで家を購入済み、他方はいまだ借家住まいで、土地の購入を計画中だった──などの笑えないケースがあります。
それでも経済学は有効です。主義主張を超えて、不変の法則や原則、客観的真実を発見することができる学問だからです。
(2004年7月10日「長野市民新聞」より」)
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