お茶の間 けいざい学 (94)
 GDP──利害や正義感 混在

 経済でよく使われるGDPは国内総生産のことで、1年間に日本国内で行われた経済活動が生み出した生産財の総合計をいいます。GDPが1%伸びた伸びないで日本中が大騒ぎをします。

 

Hoki

 GDPは産業革命以降の経済が自然な市場経済から離れ、国家が生存をかけて生産力の増大を計るという、国家経営の学問となったことと深い関係があります。
 GDPは国の経済の大きさを確認する数値であると同時に、この数値にある係数を掛けると税収の大きさが予測できるという効果があります。
 GDPが1%伸びれば、国家に入る税金がそれに比例して伸びると予測できるのです。税収の基盤となる分母の大きさを把握する数値であると考えてもかまいません。
 GDPは国家が経済力を競い合う時代となってから考えられたものですから、国力と税収の規模を測定する数値で、国民の豊かさと幸福の大きさを測ることが目的ではありません。しかし大部分の人々はGDPの数値が大きくなることが国民の幸福につながると信じて経済を論じています。
 不思議ですねー。
 確かに餓死者がでるような貧しい国のGDPはゼロに近いのですが、実は豊かになって全てが満たされた世界でもGDPはゼロに近づきます。
 1年中温暖で害虫や病気がなく、身の周りにはたわわに実る果物や作物があり、人々が何の不安も不満もなく暮らす社会では、経済活動が消えてしまうからです。
 本当の豊かさが達成された社会ではGDPは縮小を始めます。それでも雇用や税収を理由にGDPを拡大させるのはとても危険なことです。不幸の拡大になります。理由は次回に述べてみます。

             (2004年7月17日「長野市民新聞」より」) 
 
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