経済学の世界では「敵がいるから存在できる」ものが多くあります。
仮の話ですが、もしこの世に犯罪者が一人もいなくなったら、交通関係のお巡りさんは別にして、すべてのお巡りさんが失業してしまうでしょう。しかられるかもしれませんが、犯罪者がいるからこそ、お巡りさんは失業しないでいられるという言い方が経済学的にはできます。
病気と闘うお医者さんも日本中の人々が全部健康になってしまったら、仕事がなくなります。
東西冷戦のころ、それぞれの陣営の軍人さんは相手が全部いなくなってくれたらどんなに幸せだろうと考えていたでしょう。
しかし東西冷戦が終わってみれば、失業の危機に直面するのはそれぞれの軍人さんです。太平洋戦争が終わった後も多くの軍人さんが職のない状態におかれました。
競争社会では、誰もがライバルを市場から追い出してしまいたいと日夜努力しています。しかし本当にライバルがいなくなったら、自分の存在も危うくなる関係が経済には多いのです。
労働運動がさかんだったころに存在した保守系の経済団体や政治団体で、今は存在する意味を失って当惑している団体はたくさんあります。
その意味で、マルクスの理論が消滅した時点で近代経済学も、その存在意義を問われています。経済の規制を外して、弱肉強食の自由経済を拡大していった先には、再び貧困と侵略の世界が待っているかもしれません。
いつの日か貧困と過剰の問題から再びマルクス型の経済理論が大衆によって渇望される時代が来るでしょう。その意味では結局、人類は同じことを繰り返しているのかもしれません。
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