お茶の間 けいざい学  余話編(9)
 減価償却──劣化を予測し計上

 複式簿記では生産活動に参加している機械や工場の建物が何年使えるかを予測し、この価値が毎年毎年減っていくと仮定して会計を処理します。
 氷の塊のように減って行くのが目に見える物なら良いのですが、機械や建物は、水回りの水道管と同じく劣化が目に見えない形で進行するので、10年、20年後には必ず更新しなくてはならない財産なのです。
 これ劣化分を予測して毎年の決算に費用として計上しようとするのが「減価償却」の考えです。
 これには20年後に突然に建物が使えなくなっても、建て替えられる費用を準備しておこうとの意味もあります。
 実は、人間も目に見えない内臓や血管から老いが始まるといわれます。それならば人も減価償却をしてみたらどうでしょう。
 複式簿記的にみれば、死は突然に訪れるものではなく、人は毎日毎日少しづつ死んでいるのだと考えられます。
 脳細胞も味覚やきゅう覚、視力をつかさどる細胞なども日々死んで減少していると考えると、人は最後に心臓が止まった時が死ではなく、毎日が死んでいるのだと考えられます。
 人生80年と仮定すると、1年に80分の1は死んでおり、その分の葬式を自分で毎年毎年、年末の決算期に執行するというにはどうでしょう。 気持ち悪いですか?
 それならば、80分の1の人生をすり減らした価値に見合う1年だったかを振り返れば、今の仕事の意味、保っている地位や名誉の意味が決算できるのではないでしょうか。
  でも赤字だったらどうしましょう?
  減価償却は待ったなしですので、売り上げに当たる自分の人生の価値を上げていくしか方法はないのですが・・・。

               (2004年11月13日「長野市民新聞」より」) 
 
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