二宮金次郎(尊徳)の像は、昔の小学校の校庭には必ず建っていました。まきを運びながら寸暇を惜しんで勉学に励んだ金次郎に、教育の理想を見た明治政府によってつくられたものです。
戦争の影が濃くなる昭和10年ごろに全国各地の学校に建立されました。
実際の二宮尊徳は、以前紹介したように農業経済学者でした。農業経営を通じて地域を開発し、領国経営の安定化を考えた人でした。
経済学というと、欧米の研究を日本語に訳すことが仕事と考える人々によって、とても難しい学問であるかのように印象付けられていますが、経済学は人が生活を営んでいる社会には必ず存在しているものです。
今でも未開と考えられている地域の原始的な社会にも、確実に存在します。
当然に、二宮尊徳が農業中心の封建時代の日本で考えた学問も立派な経済学でした。
このシリーズでは不足を互いに補い合う市場経済の後に、過剰を互いに押し付け合う産業経済を端的に論じました。
しかし、実際には原始市場経済が産業革命後の工業社会に変わるまでの歴史の間には、農業社会や貿易重視の重商主義社会など、さまざまな産業形態が誕生していたのです。
このシリーズでは省略しましたが、産業革命の前に長い長い農業の歴史があったのは、記憶にとどめたいことです。
石器時代の経済が現代経済になるまでの途中の歴史を知りたい方は、ぜひ経済史や経済学説史などをひもといてください。
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