人類が過剰生産力に悩むようになった産業革命以降の経済では、消費者の欲望を刺激し続けて消費を拡大させて行く機能と、生産を限りなく拡大させる機能が社会の中に組み込まれました。
テレビや新聞で流されるコマーシャルや街中で目にするチラシやネオンサインによって、われわれは毎日毎日、消費を拡大するような働き掛けを受けています。
一方、企業側では常に前年を上回る生産量や販売額を達成する事が脅迫観念となっているのです。
これらの現象は社会の根深いところで、時代をつくる役割を果たしています。
近代の歴史を見ると、生産側の企業は合併や吸収、淘汰(とうた)などで企業規模が拡大し続けてきました。
逆に消費側の家計を見ると核家族化が限界まで進行しています。生産側は規模が大きい方が効率に優れ競争力を維持できますが、消費側は3世帯同居の家族を3つに分割すれば、家も3軒、風呂も台所もトイレも3カ所必要になります。
建設需要が3倍になるだけでなく、1回で足りた風呂たきが3カ所で行なわれ、燃料が3倍多く消費されるのです。居間の照明も3カ所、冷蔵庫も3台、暖房も3カ所で回り続けます。
つまり、家計部門を細分化すればするほど消費が拡大していくのです。
大家族制が崩壊し、核家族が増加した理由に封建制の崩壊、家父長制の終えん、嫁と姑(しゅうとめ)の確執問題などが挙げられる事が多いですが、実際は消費拡大を求める近代という時代が背負う本能が、誘導してきたものではないでしょうか。
過剰を前提とした近代世界では、生産側の企業部門には統合拡大への圧力が、消費側の家計部門には分割細分化への圧力が、地下プレートのように懸かり続けているのです。
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