*「序列」と「縄張」
〜家を離れ世に出るか、故郷に帰り田畑(でんばた)を守るか〜
*「空間」と「時間」〜太く短くか、細く長くか〜
*「和」と「礼」
〜和をもって貴(とうと)しとし、礼をもって民(たみ)を治むる〜
*おわりに
*「序列」と「縄張」
〜家を離れ世に出るか、故郷に帰り田畑(でんばた)を守るか〜
北で捕れるサケやウニ、サンマやニシンなどはいくら味がよくても格式を感じさせないが、南のタイやヒラメは格式を意識させる。
九州人に「お国自慢は?」と尋ねると、福岡の人が熊本城と言ったり、大分の人が西郷隆盛と答えたりする。東北人に同じ質問をすると青森の人はねぷた、秋田はしょっつる鍋、岩手は南部鉄などと必ず自分の県のものを挙げる。西日本は大和時代から中央集権的な律令(りつりょう)国家の中心地であり、これを構成した貴族制度は冠位十二階などの序列で秩序を維持した。
東日本は鎌倉時代以降に律令制や貴族制に反発し、土地所有権を基礎にした封建制度を主張した武士階級の中心地であった。
一般に生物が種の存続を計る秩序には二通りの方法がある。
一つは「序列」で集団を維持する方法である。ライオンや狼などの集団で狩りをする群れは獲物の分け前を取る順序が厳密に決まっている。この序列を重視するルールはそのまま雌を取る順序にもなり、集団の秩序が保たれる。序列社会では肩書と雌を巡る争いが熾烈(しれつ)になる。中世の西欧貴族は名誉と女性に一生を費やしたが、日本の平安貴族も同じである。光源氏も在原業平も冠位と女の獲得に一生を費やしている。これは現代の社交界と言われる世界でも同じでステータスを示す車や女性が最重要テーマである。
もう一方は「縄張り」で生存を保証する制度である。例えばアユは縄張りを作る魚で一匹が一生に食べる水苔量が決まっている。縄張りはその生存に必要な量を確保する範囲を意味し、これを互いに守らないと共倒れになる。
封建制度は自分達の生存を掛けて開墾(かいこん)した新田の私有権を認めない律令制に文字通り「一所懸命」で抵抗する思想から生まれたものである。生存の基本が農耕に移行するに従って生まれるべくして生まれた制度と言える。
日本の権力の中心が初めて箱根を越えて東日本に移動した時、鎌倉幕府が保証したものは冠位ではなく、本領安堵(ほんりょうあんど)と土地相続であった。つまり縄張りという空間の占有権を保証した政権なのである。 京都は冠の色で人の「上下」を判断し、江戸は石高(こくだか)の「大小」で判断したとも言える。
日本の大学進学率は人口300万人以上の大都市圏が際立って高く、人口の減少する地方県では低くなる。そこで人口が1〜300万人の間にある各県の進学率を求めると図5のようになる。教育に対する熱意は圧倒的に関西を中心にした西日本で高い。教育は現代の冠位制度であり官僚制の階段を昇るための投資と考えられる。同時に関西のもう一つの風土である商業の発想も、華僑やユダヤ商人が国境という縄張りにとらわれずに活動したように、土地という空間の生産性に依存するものではなく、極めて狩りの発想に近い。
そこで関西を中心にした西日本には序列の発想が色濃く残ったと考えられる。西では学歴が「一歴懸命」の対象なのである。大都市圏と西日本には現代でも国家の階段を昇ったり、海外での貿易活動を目指す人が多い。「家を離れ世に出る」生き方で、大洋を回遊しながら出世する「ブリの生き様」に似る。
これに対し東日本の各県では縄張り意識の強い生き方を選択している。この地域の進学は専門学校志向であり家と田畑を継ぐことに最重点がある。確かに生存が保証される土地資産を継承する者にとって無理して東京の大学に進学することは意味の無い行為であろう。これが大学の進学率の低さと専門学校への進学率の高さになって表れていると考えられる。「故郷に帰り田畑を守る」ことに力点を置いた縄張り中心の価値観であり、必ず故郷に戻ってくる「サケの生き様」によく似る。
*「空間」と「時間」
〜太く短くか、細く長くか〜
飛騨ブリが歩荷の背に担がれて雪の北アルプスを越えたのは、それで十分に利益が取れたからである。たぶん能登と松本の間には数倍の価格差が生じていたことであろう。商業活動とは物が余って価格が安い所から、物が不足して価格が高い所へ物を移動させることで付加価値を上げる行為である。それによって物の配分と値段の平準化が促進され、社会全体の利益が増進される。
これは物を「空間」の間で移動させることで利益を得ている活動と言える。
一方、春に採れた山菜を冬まで保管すれば希少価値が出て利益が得られる。秋に捕れたサケも販売の時期を夏まで先送りすれば高値で売れる。
こちらは物を「時間」の間で移動させることで利益を得ている活動と言える。結局、商業活動とは「空間」と「時間」の間に生じた財の偏在と価格の差を埋める行為である。
一般に経済活動は全て「空間」と「時間」に還元できる。例えば、複雑化した現代の金融業ではデリバティブ(Derivative)、AL(Assets
& Liabilities)管理などの手法が重視され、一流大学出のエリートが複雑な多元方程式を駆使している。
しかし金融業務も空間と時間の間に生じた資金の偏在を埋める作業に過ぎず、実はそれほど複雑な方程式を駆使する問題ではないのである。金融の基本は「為替」と「預金・融資」である。
「為替」とは資金を空間的に移動させることを指し、それは田舎から東京へ学資を送る国内送金でも、米国と日本の間で資金を移動させる外国為替でも同じである。どこまで行っても資金を「空間的に移動」させるに過ぎない。
しかし日米両国の空間の間には各々の経済状況によって価格差が生じている。この価格差を埋める活動から為替相場が生まれ、円の価格が決定して行く。「預金・融資」は現在と未来の間の資金移動で、資金を「時間的に移動」させることである。例えば1年の定期預金は現在の資金を一年先の未来に向けて送金したことを意味する。逆に20年の住宅ローンは20年先の「未来」から送金を受けて、住宅を買う「現在」の資金を手にしたことを意味する。
ここでも現在と未来の間には「インフレ予測、将来への期待度」などから価格差が生じる。この価格差が金利になる。1年10%の金利は現在1000万円の住宅が1年先の未来価格では1100万円になっていることを意味している。結局、円ドル相場とは日本と米国の「空間」の間に生じた価格差であり、金利とは現在と未来の「時間」の間に生じた価格差であると言える。
この価格差を埋める行為が金融活動であり利益が生まれる源泉なのである。このことは中世イタリア商人が膨大な貿易・金融取引の記録方法を求めて格闘した中で編み出した「複式簿記」についても言える。
複式簿記は「仕訳帳」と「元帳」で会計記録を残して行く方式である。仕訳帳は取引を時系列で記録し、元帳は取引を内容別・顧客別で記録する。仕訳帳は 「時間別の記録」、元帳は「空間別の記録」と言える。
現代の複雑で膨大な世界経済の維持は、この時間と空間の原理に基づく複式簿記の発明があって初めて可能になっている。
司馬遷(前145年〜?)が宮刑(男性器除去)の屈辱に耐えながら生涯を掛けて完成させた『史記』全130 巻は、帝王の歴史を年代順に記録した本紀(ほんき)12巻と、分野別の個人の記録を記した列伝(れつでん)70巻とを中心に出来上がっている。
この本紀と列伝で歴史を記録する方式はその後の中国正史編纂(へんさん)の基本になり「紀伝体」と呼ばれる。司馬が膨大な中国の歴史と格闘する中から発明したこの記述方法も「時間の流れを記録する・紀」と「空間別の個々を記録する・伝」とを巧みに組合わせて完成したものである。
この考えは現代のファイリングシステムにもあり、優れたファイリングはほとんどが「時間の推移記録」と「空間の個々記録」とを保管して行く。
また、上場企業を一代で作る経営手法と、永続を計る老舗の経営手法が全く違うように、経営、政治、哲学、芸術などの他の分野でも「空間拡大を重視するか」
「時間継続を重視するか」で主張に大きな違いが生まれる。
*「和」と「礼」
〜和をもって貴(とうと)しとし、礼をもって民(たみ)を治むる〜
中国語の鰤(ぶり)は大魚・老魚の意味で、日本語の鰤は当て字である。ブリは利口で網に掛けるのが難しいから「師の魚」と付いたとの説と、師走(しわす)に食べる魚だからとの説がある。ブリの出世は形や色、頭の良さなどでは決まらない。ブリは日本企業の年功序列と同じで、年の経過と共に出世して行く。
ところで日本企業の社是で一番多いのは「和」、次が「礼」である。
これは聖徳太子の十七条憲法に源流が見られる。蘇我と物部(もののべ)の宗教対立を経て、593年に推古天皇から摂政(せっしょう)を命じられた太子は熱心な仏教信者であった。しかし太子が起案した十七条憲法は宗教対立を回避した融和に重点が置かれ、「同じ空間にいる人は種族、信条、宗教などに関係なく皆が日本人」との考えが育つ伏線になっている。「互いの違い」を見るより同じ空間を共有していることに目を向ける発想で、これが「同じ空間を共有する」ことをメンバーの条件にするという日本人の大発明に結びついた。そして家庭の中に仏壇と神棚を同居させ、宮参りは神社、結婚式は教会、葬式は寺で行っても平然としていられる極めて魔可不思議な民族を誕生させたのである。
この考えは現代企業が従業員に求めているものに極めて近い。出身や信条、学歴などの違いは無視し、〇〇一家のメンバーであること、つまり「同じ釜の飯を食う仲間」であることに団結や忠誠心の根拠を求めている。ただし同じ空間を共有するだけでは組織が動かない。そこで上下の差を礼に求めたのである。礼は思想・信条の違いを巧みに避けた序列の作り方である。「礼」は作法や形式、言葉などを巧みに使い分けることで上下の関係や権限の有無を日常的に示すことが可能な大発明である。その上に序列が発生する条件を生まれた順にして置けば、個々人の信条や能力の差に踏み込まなくても済み、種族、血統、信条、学歴などを問う必要がなくなる。
「和」は空間内の安定を目指し、「礼」は序列内の安定を目指したと言える。不況の時期になると賢(さか)しらな学者や経営コンサルタントが日本企業の終身雇用や年功序列の終焉を決って説く。しかし日本の組織は「和」と「礼」以外に組織を纏(まと)める原則をもっていない。契約思想や権限規定に基づいて組織が出来ていないのである。横の人間関係を「同じ釜の飯を食った仲間意識」で纏め、縦の人間関係は「入社年度の早い順」で序列を作るしか組織原則が無いのである。これは企業の経営うんぬんの問題ではなく、日本の風土、日本社会を形作る基本原則なのである(但し、年功序列と賃金制度を切離すことは可能である)。
「神との契約」を重視する一神教の西洋社会のマネジメント理論を借りてきて振りかざしてみても日本の風土には根付かない。嘘だと思うなら「今後我が社は終身雇用も年功序列も一切無視する。和と礼は守らなくてよい」と宣言して見るといい。半年でその会社は消えてなくなるだろう。
これを従業員の方から見ると日本の会社は「和と礼」さえ守っていれば余程無能であっても首になることがないと言える。付き合いがよく会社の行事や会議には顔をまめに出し、冠婚葬祭は手を抜かず、礼儀正しく腰が低いという社員は幾ら無能でも首になることはない。
日本の社会から和と礼を外したら何も残らない。一見単純な原理のように見えるが「和と礼」は「空間と時間」を基礎にした極めて合理的な考え方である。生物の生存原則が「空間志向の縄張り重視」と「時間志向の序列重視」で構成されているように、ビジネスの世界も空間と時間で出来上がっている。
日本人の仲間意識を支えるものは「仮想血族信仰」で、家という空間を構成し、これを継続して行くメンバーの条件は真正の血族である必要はない。養子でも居候(いそうろう)でもよく、ただ同じ釜の飯を食い、同じ祖先を敬い、血族と錯覚できる空間と時間の共有があればよいのである。
これが会社なら机を並べ、飯を一緒に食い、社歌を歌い、会社の未来を赤提灯で一緒に憂えればもう仲間なのである。その意味では日本に完全な在宅勤務が定着することは永久にないと思われる。
春になると日本中で新入社員の研修が行われる。大抵は人事課長などが登場して、しかつめらしい顔で会社の歴史や就業規則などを講義しているが内容は全く関係がない。新入社員研修の目的は「同じ釜の飯を食わせること」と「ビジネス社会の礼儀を教えること」の二つだけである。
*おわりに
ブリは意外に調理法が限られた魚である。刺身と照焼きが主流で、「煮る・揚げる・干す・漬ける・潰す」などはまれである。最も調理法が多様であることは一般家庭で日常的に食される「惣菜魚(そうざいぎょ)」である証拠で、ブリに加工法が少ないのは名誉なことかもしれない。
序列重視から生まれた身分制度や貴族制度も世襲することは可能である。ただ戦後の新憲法(1947年)は華族制度を廃止した。ところが終戦の年(1945年)に始まった農地改革は土地所有権の再配分は行ったが、土地所有権そのものは否定しなかった。結果として日本には土地所有に代表される空間を優先する発想が定着し「時間の継続」よりも「空間の拡大」を優先するようになった。
建設では大きく、広く、早い工期が求められはしたが、世代を越えて残るような建造物は要求されなかった。
自動車も大きく、広く、早くが求められ、安全性や耐久性は後回しにされた。海外旅行でも遠く、広く回ることが要求されたが、訪れる国の歴史や民族性を学ぶ時間志向の旅は無視された。
日本国内の「和」は守られてきたが、「礼」は失わ
れたと言える。
現在、礼を忘れ、歴史を知らず、伝統を軽んじ、未来を展望しない「時を忘れた子供達」によって、日本社会が築いた繁栄と平和が脅かされている。
日本は数百年に一度の歴史的転換期を迎えたようである。今、求められるものは長い間日本を支えてきた
「空間重視」の拡大思考から、細くとも長く周囲と共存できるような「時間重視」への発想の転換であろう。
(全国中央市場水産卸協会『全水卸』2003. 1 より)
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