海  老   え  び  <前 編>・・・・・さかなのうんちく  (2003・5) 

*はじめに
*「不動の安全」「俊敏の安全」〜沼の底、亀はヒッソリ雑魚はピチャピチャ〜
*「鎧の防御」「綿の防御」〜関白も何時の間にやら尻の下〜 
*「縦の論理」「横の論理」〜縦横に寝て見つ蚊帳(かや)の広さかな〜

*はじめに  

 日本人はエビが好きである。朝から晩までエビばかり食べている。一人当り消費量は世界一である。意外なことにこの日本人のエビ狂いは戦後になってから形成された全く新しい現象である。
 エビは縄文時代から食べられ、出雲風土記(いずもふどき)(733年)には(巻)鰕(エビ)の記述があり、延喜式(えんぎしき)(927年)にも宮廷献上の記録がある。また「えびせんべい」は平安時代には既にあったといわれ、室町時代になるとイセエビが婚礼に使われている。市川海老蔵の名は江戸歌舞伎の初代団十郎(1660年〜1704年) の幼名が受け継がれたものである。しかし、エビを神饌(しんせん)の供物に使うのは伊勢神宮などごく限られた神社だけで、大部分の神社は鯛と蚫(あわび)を使っている。エビは古代から日本ではハレの象徴ではあったが、日本沿岸で捕獲され庶民の舌に馴染んで来た一般の魚介類とは異なり、戦前までの日本人には縁遠い味だったのである。
 エビは、戦後の高度成長と共に世界に散った商社マンによって、初めから「輸入商品」として開発され、日本の食卓に登場した全くの新顔である。
 エビの幼生は浮遊生活をするプランクトンで世界中の海に無数に存在する。水温などの条件が整えば一斉に成長し、文字通り海の中から「沸く」ように発生する生物である。この旺盛な繁殖力と一斉に沸くことから来る商品の均一性が工業製品を世界に輸出する成長日本の見返り輸入品としてはぴったりだったのだ。またエビは世界中の料理に使われる素材なので、無国籍化が進行した戦後日本の食卓によく合っていたともいえる。
 初めから工業製品として日本に持ち込まれたエビは、皮を剥(む)かれ、頭を取られ、直ぐ調理できる状態で、綺麗に冷凍パックされて流通する商品である。このことは保存が可能ながら高級イメージが保て、さらに均一な食材を大量手当てする必要があった外食産業にとっても利用しやすい商品であった。
 エビは市場で競りに掛けられる従来の水産物とは異なる流通経路で伸びて来た商品である。エビの輸入額は現在3,268 億円(2000年)で、日本の食料品輸入総額(4兆9,630億円)の6.5%を占めるトップの商品である。エビが日本の食卓の雄に伸し上がってきた過程には「料理の無国籍化、食料の海外依存、家庭調理の外部化、冷凍食品の普及、食卓の個食化」などと表現される戦後50年の日本の食の問題が端的に現れている。
 民族の文化や特性は「食う」ために生まれた生産形態や消費スタイルからつくられてきるものである。エビを見れば「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国」が全く別の国に変わってきてしまった歴史をつぶさに見ることができる。

*「不動の安全」「俊敏の安全」〜沼の底、亀はヒッソリ雑魚はピチャピチャ〜

 エビは鰓(えら)で水呼吸をするが、血管は解放系であるので静脈がない。また銅を含むヘモシアニンからなる血液は無色透明なので、美しい色や形態を示すものが多く出る。このヘモシアニンは空気と反応しメラニンを生ずるので鮮度が落ちたエビは黒く見える。
 約5億7000万年前のカンブリア紀に誕生したエビ類は生物としてはかなり古い時期に発生したことになる。現在は約2,400 種を数え、極寒から熱帯まで世界中の海や川に生息している。
 素人感覚ではハサミを持つエビ、持たないエビにけたくなるが、実際は「泳ぐ蝦・shrimp」と「歩く海老・lobster 」に分離されてきた(ただし最近は鰓の形態と卵の保持方法での分類方法が主流になってきている)。
 一般に、暖かい海に住む「泳ぐエビ」の寿命は1年前後であるが、寒い海に住むホッコクアカエビ(甘エビ)だと前半生を雄で、後半生は雌に転じて数年間生きる。「歩くエビ」のイセエビだと10年以上は生きるといわれる。lobster は古英語では蜘蛛の意味であるが、エビの幼生にはクモの形をしたものが多い。
 泳ぐエビには沢山の子孫をつくることで種の継続を図り、歩くエビには各個体が堅い殻で安全を図る種類が多い。泳ぐエビは豊富な餌を求め群れで移動できるが、歩くエビは一定の範囲で得られる食料に限度があるので、個体そのものの安全をまず図らなくては種の保存ができないのであろう。
 種の生存戦略は大きく分けて「数で勝負」か「力で勝負」かに分類される。イワシやオキアミのように食物連鎖の初めの方に位置し、一方的に食われる立場にいる生物は数で勝負する。一方、ライオンのように食う立場の生物は子供の数は少ないが各個体の力が強い。人間社会でも「貧乏人の子沢山」は事実であり、豊かな地域に比較して貧しい地域の出生率は高いことが多い。
 「数の勝負」は繁殖力の問題だけではない。例えば弱いハイエナがライオンと互角に戦うにはライオンの体重に等しくなる位の頭数が集まってから戦いを挑む必要がある。人間でもパワーのないボクサーはパンチを多く出さなければ勝負にならない。小さな力士は相手の倍のスピードで技を多く仕掛ける。経済の世界でも中小企業は数とスピードで大企業を上回る必要がある。「数で勝負」することは「スピードで勝負」することをも意味する。パンチのスピードが速くなくては倍の数を打てない。子供の成長が相手より早くなくては子供の数を維持できない。
 ところがスピードも力もない生物が世の中には存在する。この場合は亀やアルマジロのように鎧(よろい)を着て身を守ることになる。この意味ではザリガニや伊勢エビなどの歩くエビは甲殻を固くし「不動の安全」を選択したが、車エビなどの泳ぐエビは「踊る」と表現されるほどの瞬発力を身につけて「俊敏の安全」を選択したともいえる。
 日本ではとかく「俊敏な行動」がよしとされるが、忙しく動き回る方がよいとの価値観は日本の歴史の中では戦後の高度成長期だけに持て囃(はや)された特殊な価値観である。江戸時代は「どっしり」としていることがよしとされ、「チマチマ動く」のはネズミに喩えられて軽く見られたのである。
 田舎で時々「ギョッ」とするような大資産家に出会うことがあるが、このような資産家は株も買わず土地も転がさず「不動の安全」を選択し続けた結果から生まれていることが多い。大きな沼の底でジーッと千年の歳月を生き抜く大亀を連想させるような生き方といえる。
 一方、経済紙を隅から隅まで読み、短波放送を朝から晩まで聞いて株式を売買し、金利の動向を読みながら預金の預け替えをするなどの方法で財の目減りを防ごうとする人もいる。「俊敏の安全」を選択した生き方で、高度成長期を支えた人々には比較的受入れやすい価値観であった。

*「鎧の防御」「綿の防御」〜関白も何時の間にやら尻の下〜

 禅の思索案(しさくあん)「碧巌録(へきがんろく)」に「蝦跳而不出斗(法外なことを望んで跳ねてもエビは枡から出られない)」とあり、これをもじった江戸諺に「蝦(えび)は跳ねても一代、鰻はのめっても一代」がある。
 同じ頃の諺に「海老と名の付く家老殿」というのがあり、外見は威儀を正し格式張っていても、頭でっかちで中身や器量のない人を揶揄するのに使う。
 伊勢エビの半身を焼く料理は「鬼殻(おにがら)焼き」と呼ばれる。人間は正月の注連(しめ)飾りなどで見慣れているが、海の生物にとったら伊勢エビの姿は鬼や兜(かぶと)を連想させるものであろう。体長が1mもあるアメリカンロブスター(海ザリガニ)が巨大なハサミを振り上げたりしたら鮫でも肝を冷やすに違いない。
 エビは自分の甲殻がきつくなると、甲殻のカルシウムを血液や肝臓に溶出し古い殻の下に新しい殻をつくり脱皮する。脱皮後のエビは水分を吸収して急速に大きくなり殻は数時間で堅くなる。西洋料理などでは脱皮後すぐの柔らかいカニを「ソフトシェルクラブ」と呼び珍重するが、エビでは脱皮後の「やわらえび」は嫌われる。
 ところでエビが選択した「鎧を着る」防御は有効な手段だったのであろうか。エビやカニのようにガチガチの甲殻で身を守る生物は自分の甲殻が邪魔になってどうしても成長発展が遅くなる。また鎧のような甲殻は睦事(むつごと)の邪魔にもなる。そこでエビの雄は雌が生殖脱皮をしてスベスベの柔肌を維持している間を狙って抱きすくめる。その後の交尾の姿勢は種により異なるが、雄は精包を雌の胸部にある貯精嚢に預けてから自分の体からハート型の栓を出して蓋をしてしまう。生殖脱皮した雌は卵を抱えるために腹には繊毛が増え、脱皮後15時間以内でないと交接が難しい。受精は後ほど雌が自分だけで行うことになる。こんな場合に戦国武将は女性の替りに美少年を伴った。しかし鎧を着たままでは何かと不自由であったと思われる。ただ戦国武将が女性でなく美少年を同行したのは女性は戦場で用をたすのが難しかったためでもあろう。
 阪神大震災が起きた時に咄嗟(とっさ)に「食料と水」の手配が必要と考えた人は旧世代である。逆に「トイレと紙と生理用品」を考えた人は新世代であり、フェミニストでもある。危機が起こった時に「上から入る物」を連想するのは物が不足していた貧しい時代の発想で、生産重視時代の名残である。逆に「下から出る物」の方を心配する発想こそ物余りで消費の拡大が必要な現代の発想なのである。そうはいっても「食わなければ出ない」と考えたとすれば、そのこと自体が既に生産重視なのである。倒れた家屋の下にはインスタント食品が溢れており、震災に会った女性には食うことよりも出す場所が重要であった筈である。
 こんな時に「恥ずかしいなどといってはいられない」といういい方も人間を知らない。1932(昭和7)年の日本橋白木屋の火災では着物姿で下着を着けない多数の女性従業員が、見上げる野次馬の前で裾を開いて飛び下りることよりも焼死の方を選んでしまい、それ以降デパートの女性店員は下着を着けたという史実がある。
 社会規範は人の命より強いのである。まして関西大震災は「周辺は通常の生活をしている」中で起きた非常事態である。TVカメラという通常社会の「目」が入り込んで来る状況で、社会規範を捨てることは不可能であり、また捨てなかったからこそ整然とした行動と平穏な復興活動が維持されたともいえる。
 ところで平家物語の中で熊谷直実に呼止められた平敦盛(あつもり)が背に負っていたのは母衣(ほろ)である。フワフワの絹布を膨らませ流れ矢を防ぐもので、源平時代からソフトな薄絹の防御力を武士が認めていたことが分かる。
 本能寺の織田信長は畳を盾にした。江戸時代の武士は夜襲された場合には布団を被って防ぐことを心得とした。西洋でも「レ・ミゼラブル」の中のジャン・バルジャンはマットレスを窓に吊し大砲の被弾を防いでいる。砲弾を防ぐのには鉄板よりも砂袋のほうが効果が大きいことは第2次大戦でも実証されている。また綿でつくった防空頭巾も十分に効果があった。
 甲殻類が固い殻で自己を守るとの発想は生物誕生の比較的初期に生まれた考え方である。ある意味では天敵が比較的少ない幸福な時代の発想ともいえ、後に誕生する生物ほど生存を運動能力や知覚神経の働きに頼るようになる。
 人間社会でも実戦の経験のない者ほど観念的で強靭な防御体制を取りたがる。青二才ほど肩肘はって歩き、習いたての空手やボクシングの格好をしたがるのに似る。第2次大戦後にも強もての軍備増強で鉄の防御体制を取りたがったのは歴史の若い全体主義国家に多かった。組織を支える理念としての主義主張は全くの建前で国民の支持を受けて居ないが、外側につくり上げた強権で集団を支えている国家は殻は固いが中身がブヨブヨのエビと同じである。外からの情報を受ける器官の感度は殻に邪魔され、起伏の激しい岩場を歩けば周囲と衝突して傷つき、ちょっと重みがかかれば直ぐに潰れてしまう。エビ型の国家では掲げる理念は全くの建前に過ぎなくても、外に脅威をつくり出して中を囲い込めば組織が維持できる。
 その意味で外の脅威を必要以上に強調する宗教の教義にも空疎なものが多い。逆に外に向かってはソフトであるが、組織を支える理念をしっかりと内部に国家や組織は脊椎(せきつい)動物に似る。例えば鰻の身体は弾力があり肌は海水にも淡水にも適応が可能で有りながら、皮膚呼吸が可能なほど融通性がある。さらに表面がムチン質で守られヌルヌルしているので、周囲と衝突しないで岩場をスムーズに移動できる。また人に踏まれたぐらいでは潰れない。
 ところで無脊椎動物のナマコは身体を固くしたり柔らかくしたりして、どんな形にも変形ができる。極端な場合には身体全体が溶けた水飴のようにベトベトになって形が消えてしまう。身体の形態は後で復元するのであるが、これで食らい付いた魚などから逃れるだけでなく、紙のように細い岩の割れ目などにも侵入してしまう。まるで溶けた人間が復活する映画のゾンビや、音もなく侵入するエイリアンを連想させる摩訶不思議な生き物である。
 理念といえる骨格がなく、顔がどこに有るのかも判らないが、敗戦、石油ショック、地震、円高と数々の危機を克服した日本の姿にナマコはよく似る。鉄の枠を外からはめなくても、馴合いや談合が好きで「粘土のように粘着性の強い国民」が自然に統一した社会を形成する。国際政治の中で敏捷な動きはできないが、このこ(卵巣)このわた(腸)などの豊潤な宝を身の内に抱え込みジーッとしている。日本は1991年の湾岸戦争ではアメリカの要求に対し90億ドル(1兆2千億円)をポンと支払ったが、ナマコも獰猛な魚などに攻撃されるとこの大切な内臓を身を守る為に吐き出してしまう。これは1〜2か月で回復する。ところで中国の宋(960年〜1279年)は北方民族(遼・西夏・金)から恫喝を受ける度に武力衝突を避け、金銭解決を選ぶことで繁栄を維持したが、結局は元に滅ぼされてしまった。日本のナマコ型の生存戦略が今後も有効であり続けると考える根拠は実は何も無い。

*「縦の論理」「横の論理」〜縦横に寝て見つ蚊帳(かや)の広さかな〜

 日本はエビの坩堝(るつぼ)である。50を越える国々から数十種類のエビが入り込んでおり、エビのオリンピックが開催できる。
 一方、米国は人種の坩堝である。あらゆる目の色、髪の色の人種が街を歩く。しかし、人々は「自由」の旗の下には団結し「石と砂と粘土が適度に混ざりあった国民」でできた社会は豊饒な風土を形成している。
 フランス移民の町でデキシーランドジャズ発祥の地としても知られるアメリカのニューオリンズはエビが名物である。この町にはデキシーの生演奏が常に流れ、メキシコ湾の潮の香りがする。通りのカフェでビール片手にレモンとケチャップで食べるエビは実に旨い。しかし種類はザリガニ(crawfish)とピンクエビの2〜3種類しか出てこないのが普通である。
 アメリカという国はよう々な民族を抱え込みながらも、国民を統一できる理念と情報ネットの高度化を選択し、鉄の箱をつくる発想をしなかった国に見える。固い甲殻を着るよりも背骨と神経網の整備を選択したといえる。
 エビは鎧を背負って縦に歩く。外側に脅威をつくり出すことで集団を纏(まと)めるエビ型組織は「縦の論理」を優先する社会になる。異端な考えを許さず締め付けを強化することで国家や組織の形を守ろうとする。この組織は硬直化し融通が利かなくなるだけでなく脱皮による成長が計りにくいので短期決戦には強くとも、長期の持久戦になると必ず破綻をきたす。これらの組織は国家だけではなく、練習の激しい体育会や、ノルマのきつい販売会社、民族や宗教が著しく異なった人々が集まった集団などで発生しやすい。
 逆に内側から集団を纏めようとすると、骨格に当たる「理念や憲法」の外に、集団意思の不統一を防ぐための「情報網」の整備が絶対に必要である。ある意味で背骨と神経網があれば集団は機能するともいえる。
 米国は多民族の国家であるが、縦型社会の英国を脱出した清教徒がつくった国である。「自由と平等」を国家理念に、情報網と交通網の整備を急ぐことで横型社会を築いてきたといえる。才能が豊かな人々の集団や、ノルマの無い趣味の会などは自然に横型組織になる。
 また日本のように均一で粘着性が強い集団に外枠は不要だが、ソビエト連邦のようにバラバラで砂のような国民には鉄の箱が必要であったとの解釈もできる。
 昔から日本人は海老を目出度(めでた)い物として珍重してきた。正月や結婚式の祝席に海老は欠かせない。日本料理では貴重な赤色を演出できること、目が飛び出しており「目出度い」こと、腰が曲がった姿が長寿を連想させること(海老)などに加え、中国の古典「詩経」に「君子偕老」「穀則(いきて)異室、死則同穴」とあり、海綿動物の「偕老同穴(かいろうどうけつ)」の中に幼生時代に棲みついた夫婦(めおと)エビは成長するに従い網の目から出られず中で一生を過ごす。このことからエビは夫婦仲のよい象徴と考えられてきた。この偕老同穴は西洋でも「ヴィーナスの花籠」と呼ばれ大変に珍重されている。
 エビは栄養やカロリーのことを考えないで食べる食品でもある。エビの急伸は日本人の食事が生きる為のエネルギー補給ではなく、嗜好のためのものに変わったことを意味している。性が子孫繁栄のための行為から、楽しむためのものに変わった時から人類の堕落が始まったとしたら、生きる為の食事が単なる楽しむためのものに変わったことは、新たな「失楽園」の始まりかもしれぬ。その先頭を切った日本人は不況と没落への恐怖に怯える荒涼たる社会、我が子が就職難から社会から締め出される姿をテレビの前で毎日エビフライを食べながら見る様(ざま)になった。
                    
全国中央市場水産卸協会『全水卸』2003. 5より)

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