帰国そして旅行後記 |
− 2012.04.17(火)−18 (水) − |
「帰国」 | ||
ウィーン国際空港よりフランクフルトへ、航空機を乗り継ぎ帰国の途へ。帰りのフライトはあっと言う間だった。隣が空席だったので少し足を伸ばしてくつろいだ。 | ||
帰宅はお昼前。庭の草が伸びていてビックリ。次の日から疲れがドッと出て一週間ほどは無気力、海外旅行はもう無理かも・・・・。 | ||
「ドイツ・オーストリア旅行を終えて」・・・・天候に恵まれず、綺麗な写真が撮れなくて残念でした。 | ||
フランクフルトのホテルでは、現地の人と片言英語で喋りながら個人的オプションでゲーテ広場まで案内してもらったことが思い出される。人と人との交流は、ガイドさんやドライバーさんの中で印象に残るものだ。 | ||
オーストリア女帝マリア・テレジア、フランスのルイ14世妃マリー・アントワネットなどからヨーロッパの歴史について理解が深められた。 | ||
現在の日本・世界の様子はテレビを通して即刻報じられるが、歴史上の遺産は観光資源としてあって、そこに住む人々の様子までは分からない。最も、一週間ほどの観光旅行で駆け回るのだから。 | ||
バーバの旅行は1年に1回なので、そのために1年間、本やインターネットで下調べをします。今回の旅行(ウィーン)で体調を崩したが、次回の修学旅行が許されるのなら「インドについて」参考書を手に入れたい。 | ||
4/12(ライン川の旅とケルン市内観光) 4/13(ハイデルベルクとローテンブルク市内観光) 4/14(ヴィースとノイシュバンシュタイン観光) 4/15(ザルツブルクとハルシュタット観光) 4/16(ウィーン観光) 4/17(帰国そして旅行後記) |
マリア・テレジア(1717〜1780/63歳) |
神聖ローマ皇帝カール6世に男子がいなかったことからマリア・テレジアがオーストリアを継承した。夫である皇帝は養子的存在で政治的権力を殆ど持たなかった。実質的に国家の実態を失っていた神聖ローマ帝国よりもハプスブルク君主国と見做されていた。ハプスブルク君主国の女帝であるマリア・テレジアは後継者問題で悩まないように出来る限り子供を生もうと考えていたことから、男子5人・女子11人の計16人の子供をなした。その末娘がマリー・アントワネットである。 |
マリー・アントワネット(1755〜1793/38歳) |
オーストリア女帝マリア・テレジアの末娘であるマリー・アントワネットは1770年14歳でルイ15世の孫に嫁いだ。夫ルイが即位してルイ16世の妃となる。当時、太陽王と呼ばれた14世の創り上げた王朝文化の余香がまだ残っていた時代でマリー・アントワネットは優雅な宮廷生活を送っていたが、時代は急変しルイ16世はこれを何とか建て直すため色々するが政治的無能なため追い詰められ国王夫妻はオーストリアへ亡命を企て捕らわれ「フランスを見捨てるつもりだったのか?」と1793年1月に国王は死刑、王妃アントワネットも10月にギロチン刑になった。「赤字婦人」と呼ばれた王妃は「人は不幸にあって初めて自分が何者であるか分かるものです」と言う言葉を残して断頭台の露と消えた。 |
エリザベート(1837〜1898/61歳) | |||
左よりフランツ・ヨーゼフ1世(1830〜1916/86歳)、エリザベート(中央)とシシー(右) | |||
エリザーベートを語るには先ずフランツ・ヨーゼフ1世について説明しなければならない。彼は聡明な母に育てられた。エリザベートは、その母と気が合わなかった。ウィーンよりハンガリーが好きだった。また、ハンガリーからも慕われた。 さて、そのフランツ・ヨーゼフ1世は、オーストリア皇帝の実質的な「最後の皇帝」で、美貌で知られるエリザベートが皇后である。戦争中の1916年、肺炎のためウィーンにて86歳で崩御した。シェーンブルンを離れず家庭的には悲劇に見舞われた。 弟はナポレオン3世によって傀儡のメキシコ皇帝に擁立されたが銃殺されている。最愛の妻は旅先で暗殺され、長男は謎の心中を遂げる。皇位継承者にした甥とは政治的に対立。ベルヴェーレ宮殿に居を構えるフェルディナント大公の妃はブルボン家の血をひくのでヨーゼフ1世はご機嫌であった。後継の大公夫妻は1914年サラエボで暗殺され、この一連の流れで第一次世界大戦へとつながった。 |
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エリザベートはオーストリア皇后(ハンガリー王妃)。ヨーロッパ宮廷一と言われた美貌に加え、身長172cm、ウエスト50cm、体重50kgという驚異の体形の持ち主であった。王宮の堅苦しい生活を嫌って絶えず旅に出た。妻・母・皇后の務めは果たさず権利のみ行使、贅沢で気ままな生活を送った。バイエルンの王、ノイシュバンシュタイン城の狂王として伝わるルートヴィヒ2世とも親交がありお互いに逃避行を繰り返した。そんな環境にいた息子は母の親しい女優が紹介した女性と心中をした。贅沢振りは気まぐれで、すぐに飽きて一つのことに留まることが出来なかった。 シシーとはエリザベートの愛称で、今日のオーストリア土産のチョコレートの包み紙を飾っている。 |
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4/12(ライン川の旅とケルン市内観光) 4/13(ハイデルベルクとローテンブルク市内観光) 4/14(ヴィースとノイシュバンシュタイン観光) 4/15(ザルツブルクとハルシュタット観光) 4/16(ウィーン観光) 4/17(帰国そして旅行後記) |