カジュラホからジャンシー観光そしてアグラへ |
− 2013.03.29 (金) − |
カジュラホからジャンシーまでハイウェイ(約160km)をバス移動、途中「オルチャ遺跡」を見学。ジャンシーからアグラへは約3時間の列車移動です。 | ||
【ジャンシーの町】 | ||
カジュラホを8時半に出発しバスは一路オルチャ遺跡に向かう。 「田舎のバスはガタゴト道を〜」そんな古い歌を思い出すようなハイウェイ(ガイド曰く)で車酔いするほどだ。 車道は一応舗装だが平坦でなくガードレールもない。橋梁部に差し掛かると一旦停止は免れない。 |
【ジャンシーの町】 | ||
途中の村は200〜300mも走ると街道筋は無くなる。それでも商店街らしき町も通過するが看板等は皆無、もちろん信号機も無い。 まさしく「吉幾三」演歌の世界だ。私の幼少時代を思い出す。 ガイドさんのお話はインドを知るうえで大切なことばかり長旅も退屈しなかった。 |
【ジャンシーの町】 | ||
砦のように聳えるオルチャ遺跡は「ギールマハルの宮殿」です。 17世紀にムガル皇帝ジャハーン・ギールがオルチャ滞在地として建てたもの、いざという時に砦となるように出来ている。 移動途中、ついでに立ち寄ったとはいえ世界遺産に匹敵するほどに素晴らしいものだ。 |
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ジャンシーの町で昼食を、レストランの入口では日本の曲を吹く現地男性、それに想定外の日本人の多さ・・・・驚くばかりだった。 |
【ジャンシーの町】 | ||
写真はジャンシーの市内観光を載せたページだが「楽しかったハイウェイ」の話を続けましょう。 バスは平気で対向車線を走る。その道路を平然と野生牛が歩き、時には寝そべっている。 日本で見掛ける犬猫の姿は皆無で、それに代わるのが野牛という訳・・・・インドの風景そのもの。 |
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車窓から見渡す麦畑は黄金色、刈取りの季節のようだ。農作業をする女性はサリー服姿、邪魔にならないだろうかと気を回す。この方が暑い場所では涼しいらしい。よく見ると麦畑は一応に黄金色ではない。刈取り時期をずらすのか青々した畑もある。 |
【ジャンシーの町】 | ||
ジャンシーの街で、その二面を見た。 まずは繁華街、暑いので呆然と立ち尽くす人、ゆったりと歩く人、何やら立ち話をする人などで混雑していた。 |
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【ジャンシーの町】 | ||
決して裏通りでもない。道路は舗装され歩道も整備されている。 その路肩は、屋台ではなく生活の居住場所になっているのだ。 繁華街を往来する人の服装と大きくは変わらない。人口の多いインドでの格差だろうか・・・・。 ジャンシーの町は鉄道網も道路網も集中する交通の要所である。 |
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これまで多くの世界遺産巡りをし、史跡のみでなくその土地の人たちの生活を肌で感じてきた。あえて掲載はしてこなかったが現地の人たちと一緒の写真も撮った。今回もそうである。インドの人たちの笑顔も皆穏やかで笑顔が素晴らしかった。 |
【ギールマハルの宮殿】 | ||
「旅のついでに・・・・」と前述した通りガイドブックにも未掲載、ネット検索でもマイナーさを感じさせる遺跡だ。 しかし、遺跡は「穴場」と言えるもの、どなたかのブログでは「世界遺産の先取り」と評価。 もしかして、今回の「ツアー」の掘り出し物かも知れない。 |
【ギールマハルの宮殿】 | ||
「オルチャ」は、インドで最も美しい場所の一つとして挙げられる。 デカン高原の北端、ガンジス河支流ベトワ川近くに廃墟と化した16世紀の宮殿跡がある。 ベトワ川周辺の緑溢れる風景に調和した宮殿、建築文化的価値は別に時空を越え素晴らしい。 |
【ギールマハルの宮殿】 | ||
「オルチャの遺跡」の見学は40分という短さで心残りだ。 静寂な廃墟を心行くまで見学するには一週間程度の滞在を必要とする。 宿泊施設もあるようなので「秘境を訪ねる」には最高の場所かも知れない。 |
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後ろ髪を引かれる思いで「見返りの宮殿」を後にアグラへ3時間の列車旅、到着は21時の予定。早朝から夜遅くまで、老体に応える世界遺産の旅、日頃の運動があるからこそ乗り切れる。今日は心癒される一日でした。 |
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