アグラ観光
− 2013.03.30 (土) −
 タージ・マハル、アーグラ城、ファテーブルシークリーという世界遺産とアグラ市内観光。そして超豪華ホテル「クラークシラーズ」2泊とインド旅行のハイライト。
【タージ・マハル】大楼門

 インドで1・2を競う観光地。ガンジス河最大の支流ヤムナー川沿いに建つ白亜の巨大霊廟。

 霊廟正面には広大なムガール庭園、霊廟の左右に対称的なモスク、そして迎賓館という構成だ。

 左写真は「大楼門」、通り抜けると「庭園」その奥に「霊廟」がある。
【タージ・マハル】霊廟

 庭園奥に高さ5.5mの基壇の上に白亜の墓廟があり四隅に尖塔がある。

 向かって左にモスク、右に集会場がある。墓廟は57mの正方形だが四隅が切られた変形八角形。

 モスクと集会場は大楼門に似ている。外観は赤砂岩づくり。モスクの内部、礼拝は聖地メッカを向いている。
【タージマハル】庭園

 庭園には天井の4本の川を表す4本の水路が四方に流れ、交わる所には天井の泉を表す池がある。

 中央の池には5基の噴水があり、噴水の高さを一定にする工夫がなされている。

 霊廟の庭園は、イスラム教徒にとって砂漠のの中の楽園を意味する。
 
 ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのために建設した総大理石の慕廟。イスラーム文化の代表的建築。
 
【アーグラ城塞】

 ムガール帝国第3代皇帝アクバルによって16世紀中頃に赤砂岩を使って建造された城塞でムガール帝国の権力象徴といわれる。

 第4代・第5代皇帝により体裁が整えられ第6代で無敵のムガール帝国の城郭になった。

 そして、イギリス植民地時代に起きたセポイの反乱で多くの建造物が破壊されたという。
【アーグラ城塞】
 蛇行するヤムナー川の右岸、タージ・マハルの川上約2kmの位置にある。

 アーグラ城から眺めるタージ・マハルは蛇行するヤムナー川の水面に浮かぶように見える。

 ロマンチックな風景かも知れない。シャー・ジャハーン自ら築いた城塞に(浪費を咎められ後継者に)幽閉され眺めたタージ・マハルの塔(囚われの塔)はどう写ったのだろう。
 歴史は時には残酷なものを後世には美しく伝える。これを知って眺めるか、知らないで眺めるかで「旅の未知草」も深みを増すというものだ。
【アーグラ城塞】
 城内建物は大理石を使い、外観の赤色とは対照的で純白。建物の内外装は昔も今も通じるところがある。
 城塞内部には宮殿が並び、立木や芝生には野生小動物が生息し公園広場といった憩いの場所になっている。
 1803年、イギリスの駐留軍がアーグラ城を占領した時には(インド中西部のマラータ王国の侵攻で騎馬軍団が占拠、何もかも略奪された)荒れ果てた宮殿の広間には何一つ残っていなかったという「略奪された宮殿」で知られる。
【シャー・ジャーハン宮廷】

 ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンは、財政状態にかまわず建物を造り続けた。

 晩年は跡継ぎの皇帝によって「ジャスミンの館」に幽閉され、最愛の王妃タージ・マハルの廟を眺め世を去った。

 シャー・ジャハーンの寝殿が「シャー・ジャーハン宮廷」である。
 
【シャージャーハン宮廷】
 浪費は皇帝でも許されない。それを断行した世継皇帝の決断は世を問わず見習って欲しいものだ。
【ファテーブル・シークリー】

 14年で放棄されたアクバル帝の「つかの間の都」。

 予言通り男子(第4代皇帝ジャハーン・ギール)を得たので首都を移転。実は水不足が原因で広大な城を捨てたのである。

 現在は、虚ろな抜け殻となった赤い都城は巨万の富と権力が生んだ御伽噺のような出来事の証人と言えよう。
 短かったインド世界遺産の旅も残すところ明日一日になった。夜は臨時のオプションツアー「タージ・マハルを造らせた王と王妃」のオペラ鑑賞を楽しみました。
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