ヨルダン;壮大なる歴史が織りなす大地
- 2014.4.4 (金) -
- ヨルダンの首都アンマン -
下の写真左手の方角がアンマン中心街(市庁舎)
アンマンの市内観光
 シタデル
 考古学博物館
 ローマ劇場
 
 ヨルダンの首都アンマンは、七つの丘(ジャパル)の周り(沢底)に出来た新石器時代以来9000年の歴史を誇る安住の地、シタデル(城塞)からは素晴らしい景観が見渡せます。眼下に見えるのが「ローマ劇場」です。現在では街も拡大し18の丘にまたがっている。(アフリカ大陸から続く「大地溝帯/グレート・リフト・バレー」の北端/死海の右手に位置する。グーグルマップの航空写真で確認できます。)
【シタデル(城塞)】首都アンマンの市庁舎から北東1km
 「シタデル」は、世界でも最も古くから人が安住した町の一つで、城塞化の歴史を遡れば「青銅器時代」になる。古代ローマ時代には「フィラデルフィア」と呼ばれ繁栄していました。
 
 七つの丘で最も高い「ジャバル・アル・カラア」(標高850m)の上に「アンマン城」があります。写真の石柱は城内にある「ヘラクレス神殿」、右手の建物が「ヨルダン考古学博物館」です。
 BC1世紀にローマに征服、以降も幾多の戦禍に遭い、イスラム帝国の中心が移転、衰退・廃墟、近世はパレスチナ・イラク難民の移住等々と波乱万丈。
 
 「アンマン城」にある「ヘラクレス宮殿」は、古代ローマ帝国の第16代皇帝が建造するも未完成のままです。発掘調査で巨大なヘラクレス大理石製像の「指と肘」が発見。その大きさから像は12mと推定、自然災害で倒壊した巨像の残骸は建設資材に流用。
 
 「アンマン城」にある近代的建物は「ヨルダン考古学博物館」で、1951年に建設され周辺遺跡の発掘で出土されたもの展示されたようです。残念なことに第三次中東戦争後、東エルサレムを奪還したイスラエルにより所蔵品の多くが移籍されました。残された所蔵品の大半は、少し離れた新国立博物館に移籍展示されたので小規模博物館になったとのことです。しかし、人類が造った最古の人物像(小写真)は、石膏製で30年ほど前に発見され、今なお展示されています。
 丘から見下ろした「ローマ劇場」に移動、沢底の淵を掘削して造ったものらしい。33列6000人が収容されるという、上部には家並みが見える。
 
 どこかの国の国立競技場に比べ、「掘削」で建造できるし、「残土」は街づくりの資材として使える。2000年も前の人達の方が如何に経済的観念が高いか頭の下がる思いです。小写真下は「デカポリス跡」です。
- アンマンからペトラへ -
260kmのバス旅行
 
 
 アンマン市内観光を終えレストランで昼食、午後は「ペトラ」まで260km(家⇔成田空港、同距離)3時間半のバス移動。到着後、ホテルの売店で土産物を物色するが購入したのは恒例の「絵葉書と切手」。明日は終日「ペトラの世界遺産」の見学。
挿入曲;あなたの美しさは(ヨルダン民謡)
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4/4 アンマン 4/7 ベトシャン
4/5 ペトラ 4/8 アッコ・ティベリア
4/6 マダバ・ネポ山 4/9 エルサレム・ベツレヘム
4/7 ジェラシュ ヨルダン・イスラエルの旅に戻る