ヨルダン;壮大なる歴史が織りなす大地
- 2014.4.7 (月) -
- ヨルダン北部随一の遺跡ジェラシュ -
ヨルダン遺跡南の横綱(世界遺産ペトラ)に次ぐ北の横綱
 ヨルダンは実質3日半の旅、最終日の目覚めは「死海」(大地溝帯の北端、湖面の海抜は-428mと地表で最も低い場所、湖水の蒸発が水分供給を上回る状態なので塩分濃度が高い塩湖、ちなみに海水は3%、死海は30%)の畔、その名も「デッドシースパ」です。死海に流れ込む川はヨルダン川のみ、流れだす川はなし、蒸発より灌漑用水の利用や近隣ホテルの地下水利用が活発化したことで湖面低下問題(地盤沈下含め)が深刻化している。
 デッドシースパホテルは、その名の如く当地では庶民的な老舗ホテル、殆どの部屋から死海が眺められ大満足でした。
 
 ヨルダン渓谷は冬でも温暖であり、近年の灌漑技術の発達により野菜や果物の一大生産地に変貌しているようです。しかも、国土の80%が砂漠地帯に属するうえ、首都近郊でもあることからより集中しているのでしょう。
 
 車窓から眺めた農業・酪農。大写真は道路と住宅の間に放された“羊”のようです。小写真上は“オリーブ”の果樹園でしょうか、びっくりしたのはビニールハウス(トマト栽培が盛ん)で日本からの支援もあるようです。
- ジェラシュ -
(ジャラシュとも)
 「ジェラシュ遺跡」は【世界遺産】にこそ登録されていませんが、ギリシャ・ローマ風の都市「ゲラサ」(金の川沿いのアンティオキア)の廃墟があることで知られている。「ゲラサ」はローマ時代、デカポリス(十都市連合)と呼ばれた東部辺境の都市群に含まれていた。その古代都市「ゲラサ」こそ今日の「ジェラシュ」である。当地の遺跡の大きさや発掘の大規模さ、保存状態の良さから「中東のボンベイ」(説明省略)との異名もあるほどです。故に「南のペトラ」に次ぐ「北のジェラシュ」、引けを取らない大遺跡群です。
 「ハドリアヌス門(凱旋門)」
 残念なことに「凱旋門」の全景写真(小写真)はバスの車窓から撮ったものだけ、何枚も撮っていても肝心なものがイマイチって結構ありますね。だからもう一度行ってみようという気持ちに・・・・それは国内の近場だけのことですが。
ジェラシュ
 ハドリアヌス門/凱旋門
 南門
 フォーラム・列柱通り
 アルミテス神殿
 ローマ劇場
 
 「南門」まで続く城壁です。遺跡群の案内図をネットで検索し参考に拝借しました。(Jerash Map
 
 「凱旋門」を潜った左手にある広場を取り囲む構造物(下写真)、広場は楕円形で「ヒッポドローム」(競馬・競戦車競技場)といいます。チャールトン・ヘストン主演の「ベン・ハー」(1959年制作のアメリカ映画)を思い出しました。2枚の写真を合成しましたが、横:縦比が大きく小さな写真になるので2枚目の3分2程度トリミングしています。
 「南門」
 「凱旋門」から続く「城壁」を左手に灼熱の土道を500mほど進むと、遺跡の入口「南門」(南側の門)に着きます。
 
 「フォーラム・列柱通り」
 「フォーラム」は、宗教的儀式に使われたイオニア式の列柱に囲まれた広場。ここから「北門」まで、円柱に両側から囲まれた石畳の道が「列柱通り」です。
 「ゼウス神殿と南劇場」
 「ゼウス神殿」は大きく崩壊しているも、そこから抜けた西側(裏手)にある「南劇場」は原型を保っている。パノラマ写真は、遺跡全体が見渡せる左手の高台から「ゼウス神殿と南劇場」を撮影したものです。
 
 その高台から「ジェラシュ遺跡」全体を撮影したパノラマ写真を3枚掲載します。
- シェイフフセイン橋 
「シェイフフセイン橋」・・・・どんな観光地?
 「シェイフフセイン橋」は観光地ではありません。ヨルダンとイスラエルの地上国境に架かる「国境橋」(くにざかいばし)です。両国の「国境橋」は3つあり、「北のシェイフフセイン橋」(ヨルダン川)と「死海の北側キングフセイン橋」(ヨルダン川)・イスラエルの呼名は「アレンビー橋」と「最南端のアカバ国境」(紅海沿岸)です。この中の「キングフセイン橋」は正式国境でないためビザの発給は行われていません。
 その一つの国境越えをしたというお話・・・・「撮影禁止」そして「多くを語らず」ということで筆を置きます。
挿入曲;ヨルダンの岸で(讃美歌より)
 ヨルダンの旅  イスラエルの旅
4/4 アンマン 4/7 ベトシャン
4/5 ペトラ 4/8 アッコ・ティベリア
4/6 マダバ・ネポ山 4/9 エルサレム・ベツレヘム
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