イスラエル;聖者の舞台に刻まれたドラマ
- 2014.4.7 (月) -
- 忘却の遺跡ベトシャン -
ローマ・ビザンチン時代の古代都市
 ヨルダンから「シェイクフセイン橋」を渡りイスラエルに・・・・、グーグルマップで確認するとイスラエル側には道路があり、ヨルダン側には道路がない。この「シェイクフセイン橋」は、ヨルダンとイスラエルを結ぶ幹線道路に架かる橋で、平成6年に両国間で平和条約が結ばれ交通量の大幅な増加が見込まれるとのことから、日本の無償基金協力(ODA)で架け替えが行われた国境橋です。日本の支援への感謝の気持ちとして友好切手が発行されたという経緯があります。
ベトシャン遺跡
 バラディウス街道
 半円形劇場
 ローマ風呂(サウナ跡)
 
 古代エジプトからシリアのダマスカスに向かう交易上の要塞、小高い山の麓にありローマ・ビザンチン時代(代表的なモザイクがここにも)の古代都市。1700年頃の地震で崩壊、そのままの状態であり発掘が進めば予想外の遺跡になる可能性が大きい。(観光本・ネットでも記述が少ないマイナーな遺跡)
 国境から「ティベリア」に向かう途中、突然現れた「廃墟」が「ベトシャン遺跡」でした。小高い山に向かう一直線の道が「バラディウス街道」です。
 
 「バラディウス街道(カルド)」に「カルド」と付記しましょう。その「カルド」とはラテン語で、古代ローマやイタリアの都市で「南北の大通り」(基幹道路)のことを指します。パレスチナ地方の古都・旧市街では「繁華街」(商店街)という使い方があるようです。
 「半円形劇場」です。当時は約5万人の大都市、劇場があっても不思議ではありません。
 
 ビザンチン様式(キリスト教建築様式)の特徴は、大ドームを乗せた集中式教会堂建築、内部は金地の華麗なモザイク、大理石の張り石装飾。「モザイク」は耐久性で優れているので普及したのでしょうね。
 「ローマ風呂」(サウナ)です。サウナはフィンランド生まれと聞きますが、中東地域の伝統的な公衆浴場(ハマム)は「蒸し風呂」です。
 
 
 バラディウス街道(カルド)です。教会や商店の跡が確認されています。小高い山の麓まで進むと、ご覧の通り300年余り前の大地震で倒壊された状態がそのまま保存されています。有史以来、争いが絶えないこの地にあって戦時破壊が無かったことは不幸中の幸いと思います。
 この後イスラエル最大の湖、「ガリラヤ湖」(ティベリア湖)の北西岸にある宿泊地「ティベリア」に向かいました。明日の観光は楽しみです。
挿入曲;ハバァ・ナギラ(イスラエル民謡)
 ヨルダンの旅  イスラエルの旅
4/4 アンマン 4/7 ベトシャン
4/5 ペトラ 4/8 アッコ・ティベリア
4/6 マダバ・ネポ山 4/9 エルサレム・ベツレヘム
4/7 ジェラシュ ヨルダン・イスラエルの旅に戻る