カロリーゼロで生きる生物
摂取カロリーゼロで生命を維持する生物もいる
チューブワームは、口も消化管も肛門もない
消化管からの栄養吸収は不可能
深海の熱水噴出孔には、チューブワーム( 和名: ハオリムシ)という生物がいます。文字どおりチューブ状の形態をしていて、最大で直径数cm、長さ2mほどになるというから、かなり大きくなる生物です。(日本近辺のチューブワームはこれより小型です)。
これが海面下数百メートルの、深海底の熱水が吹き出す岩の割れ目の周辺に群を作って生息しています。
じつはこのチューブワームには、口も消化管も肛門もありません。つまり、口がないので栄養物を自力で摂取することもできないし、消化管で栄養を吸収することもできないし、排泄することもない生物なのです。その意味では摂取カロリーゼロです。
それなのになぜ、チューブワームは生きていけるのでしょうか。
それは、体内に共生している硫黄酸化細菌(硫黄バクテリア)が鍵を握っています。硫黄バクテリアは、岩の割れ目から吹き出す熱水に食まれている硫化水素(人間にとっては猛毒で致死性のガスで)を分解することで、エネルギーを得て生きているのです。
チューブワームは膨大な数の硫黄バクテリアを体内に住まわせて硫化水素を取り込み、硫黄バクテリアの作り出す栄養素とエネルギーの一部を分けてもらうことで生命を維持しています。
海底の熱水噴出孔周囲には、チューブワーム以外にもシロウリガイやコシオリエビなどの生物が多数生きているのですが、いずれも硫黄バクテリアを体内に共生させて、硫黄バクテリアが作り出すエネルギーの一部を使って生きています。
他方で、硫黄バクテリアは一方的に搾取されているのみかといえば、そうではありません。チューブワームやシロウリガイの体内という、極めて安定した安全な環境に住むことができるので、硫黄バクテリアにとってもメリットなのです。
硫黄バクテリアのおかげで、チューブワームは自力で食物を摂取する必要性がありません。体内にゼロエネルギー生産工場を備えているのですから、あとは、工場で働く作業員(硫黄バクテリア)たちが快適に働ける環境を作り、彼らの栄養源である硫化水素が吹き出す場所に陣取っているだけでいいのです。
自ら食べ物を食べるという方法論を否定しているのがチューブワームたちであり、彼らはこの生き方で、深海底で生き延びてきたのです。
チューブワームの生態についてはまだよくわかっていないことが多いのですが、卵から孵った幼生は成体と異なり、最初の3日前後は口があり、この3日間で、海水中の硫黄バクテリアを取り込んでいることがわかっています。
その後、口は退化してしまうので、チューブワームにとって勝負はわずか3 日間であり、この期間に適切な硫黄バクテリアを飲み込めなかったら、死滅します。チューブワームの幼生がどのようにして硫黄バクテリアと出会い、それを飲み込むのかは、まったくの謎です。
そして驚くべきことに、チューブワームやシロウリガイは、太陽と無関係に生きているのです。私たちはよく、「地球上のすべての生命は太陽の恵みで生きていと考え、植物が太陽光を浴びて光合成を行なって生長し、それを草食動物が食べ、草食動物を肉食動物が食べているからです。
つまり、食物連鎖の発端は太陽光線であり、草食ほ乳類も肉食ほ乳類も、「形を変えた太陽光」を食べているのです。だから、太陽が活動を停止したら「太陽光を食べている」地上の全生命体はただちに絶滅します。
ところが、太陽が活動停止してもずっと生活できる生物がいるのです。それが硫黄バクテリアやチューブワームです。彼らが栄養源としているのは、地球のマグマに含まれる硫黄であり、マグマ活動を生みだす地球の中心核から発せられる熱なのです。
だから彼らは、太陽が輝きを止めたとしても、当分の間は平穏無事に暮らしていけるのです。数十億年後には地球の中心核も冷えてしまうが、それまでは安泰な生活です。
チューブワームが成長の糧とする硫化水素は、地球のマグマがもたらしたものです。マグマに含まれる硫化水素を、硫黄バクテリアが硫酸イオンと水素イオンに分解し、それぞれの結合エネルギーの差からATPを産生し、その過程でできる代謝産物を、宿主であるチューブワームが得て成長するのです。その結果生じた硫酸イオンと水素イオンは、周辺の海水に溶け込んでいきます。
では、チューブワームが成長した分、地球から硫黄分子が減っているかというと、そういぅことはないのです。地球全体の硫黄原子の数に変化はなく(宇宙空間に硫黄が逃げていかないかぎり、地球の全硫黄原子量に変化はない)、硫化水素や硫酸イオンに姿を変えて、グルグルと循環しているだけです。
つまり、チューブワームはマグマから発生する硫化水素によって成長しているが、チューブワームが成長した分、地球の質量が減っているわけではなく、チューブワームが大繁殖する事態になったとしても、地球に存在する硫黄原子が減るわけではないのです。
このように考えるとわかるが、チューブワームの成長に関するエネルギーと物質の収支にっいて考えるなら、地球全体の物質とエネルギーの循環という視点が必要になるのです。では、チューブワームの生存の鍵を握るもう1つの要素、マグマ活動をもたらす地球内部の熱はどこからくるのでしょうか。これまでの研究では、次の3つが主なものとされています。
- 地球生成時に微惑星や岩石が持っていた運動エネルギー
- 地球生成時に微惑星や岩石が持っていた運動エネルギー ② ウラン、トリウムなどの天然放射性元素の自然崩壊による熱
- マントルの重金属(鉄、ニッケル、銅)が地球の核に移動する際の摩擦熱.
最近のニュートリノの観測では、1 が半分、残りの多くが2であることがわかっています。
1の微惑星などが生成されるのは太陽系が形成される過程であり、その元をたどれば、天の川銀河を漂う星間物質です。
一方の2のウランやトリウムなどの重い元素は、太陽の8倍以上の質量を持つ恒星が超新星爆発を起こした場合にのみ生成されることがわかっています。
つまり、地球内部に取り込まれて熱(崩壊熱という)を発しているウランやトリウムは、超新星爆発で宇宙空間に飛び散ったウラン原子・トリウム原子が、誕生直後の地球に取り込まれたものだろうと考えられます。
ようするに、チューブワームたちの生命を支えているエネル字源は、は天の川銀河の星間物質で、もう1つは太陽系誕生前に起きた超新星爆発です。彼らは太陽系誕生以前からの天の川銀河内の連綿たる物質循環・エネルギー循環を、生存のためのエネルギーとして利用している生物なのです。その結果、彼らは摂取カロリーという概念すら通用しない生き方を生み出したのです。
100億年の壮大な物語を背景に持つ生物が群をなして深海底に生きていると考えるだけで、せせこましい日常をほんの少しだけ忘れることができるかもしれません。