若葉が美しい樽本に感動
上樽の「下番場」の家に生まれ、現在は神奈川県相模原市に
住んでいるK(kazumi)です。すでに生家の建物はありませ
んが、齢を重ねるにつれて望郷の念は募ります。その想いが
5月22日に実り、若葉に彩られた樽本に寄ることができ、四
季折々に魅せる樽本の景色の一端を楽しみました。
今回は、豊葦地区協議会の木賀洋一会長と水品憲男事務局長、
樽本出身の関隼一さんとお会いできて、嬉しく思いました。
当日は、樽本地区の方々が「峠隧道用水」の整備作業を実施
しておりました。同用水は、旧家の木賀三四郎氏が私財を投
じて明治時代に完成させ、樽本の水田開発に貢献した貴重な
遺産と聞いております。すでに120年近い歴史を刻んだ用水
を、水田が縮小する今でも守り残そうと頑張っておられる地
区の皆さまに深く頭を下げました。用水の上流部は、5月17
日に斑尾地区の方々が整備されたとのことです。斑尾地区の
皆さまに敬意と謝意を表します。
樽本温泉に隣接する畑を、14馬力のトラクタを駆使して、力
強く耕している方がおられました(写真参照)。斑尾高原で
ペンション『フォーシーズンズ』を経営されている門田紘一
さんでした。「蕎麦を蒔くまでの間、野菜を作ろうと思って
耕している」とのことです。ここで育てた美味な蕎麦は、11
月の温泉仕舞いなどに供されるそうです。
金倉山など豊かな自然と一体感を醸し出している門田さんを
拝見して、生活環境に羨ましさを感じました。一方、休耕田
が増加する現実に思いを巡らせ、かつて活力に満ちていた樽
本の農業が再生することを祈念しました。何も貢献できない
自分の無力を恥じながら・・・。因みに、写真に写っている
杉の木(5本)が直列している土地が私の生家跡です。
樽本ではいま、耕運や代掻きなどの作業は、主にトラクタや
耕運機に依存しているようですね。高齢化が進むなかで農業
を営むには、機械力に頼らざるを得ません。門田さんも「今
まで鍬で耕してきたが、もう限界ですね」と話していました。
昭和時代の初期を振り返ると、そういった作業は家族同然に
扱った馬や牛の力に頼っていました。中学時代の自分も、牛
を誘導する役目(通称:牛の鼻とり)を務めたものです。耕
す装置に慣れない牛を扱うときは、牛がジグザグに進むので、
作業の効率が悪かったという記憶があります。後ろで装置を
操作していた長男に、「もっとしっかりやれ!」などと叱咤
されたものです。
今回は短い滞在時間でしたが、樽本出身なのに初めて「馬隠し
(マガクシ)」を訪ねることができました。案内役を務めてい
ただいたのは、樽本出身で私より2年先輩の「樽本のオジ(ryuzi)
」です。Ryuziさんは、樽本の歴史遺産や土地柄などを精力的に
調査され、その内容をホームページ「春はうららの樽本」に紹
介しておられる方です。馬隠しの詳細な様子は、Ryuziさんのホ
ームページをご参照ください。
馬隠しへは、道路から比高差約60mの道なき急斜面を、老体に
鞭打って登りました。船底のような形をした地形は、馬を隠す
としたら好適の場所に思えました。斜面には群生したスミレや
エイレンソウ、ハナイカダをはじめ、珍しいニオイスミレの花
が咲いていました。馬隠しの斜面上の尾根部では、ケヤキの大
木や猿の腰掛、そして妙高山の雄姿も見られ、同行した高田生
まれの妻ともども貴重な自然を満喫することができました。樽
本は私の追憶と癒しの地であります。