故郷・樽本通信ページ
樽本に関する情報やご意見、また遠くに離れております樽本出身者の近況など、
メールにて頂き、情報発信をしているページです。
ふるさとの香りをなつかしく想い、お便りをいただけれ幸いです。
写真等も添付ファイルで頂ければ掲載をさせて頂きます。




上樽出身者のKさんよりご投稿をいただきました
2010/5/27情報


樽本温泉下の畑を耕運する斑尾の門田氏

若葉が美しい樽本に感動

上樽の「下番場」の家に生まれ、現在は神奈川県相模原市に
住んでいるK(kazumi)です。すでに生家の建物はありませ
んが、齢を重ねるにつれて望郷の念は募ります。その想いが
5月22日に実り、若葉に彩られた樽本に寄ることができ、四
季折々に魅せる樽本の景色の一端を楽しみました。

今回は、豊葦地区協議会の木賀洋一会長と水品憲男事務局長、
樽本出身の関隼一さんとお会いできて、嬉しく思いました。
当日は、樽本地区の方々が「峠隧道用水」の整備作業を実施
しておりました。同用水は、旧家の木賀三四郎氏が私財を投
じて明治時代に完成させ、樽本の水田開発に貢献した貴重な
遺産と聞いております。すでに120年近い歴史を刻んだ用水
を、水田が縮小する今でも守り残そうと頑張っておられる地
区の皆さまに深く頭を下げました。用水の上流部は、5月17
日に斑尾地区の方々が整備されたとのことです。斑尾地区の
皆さまに敬意と謝意を表します。

樽本温泉に隣接する畑を、14馬力のトラクタを駆使して、力
強く耕している方がおられました(写真参照)。斑尾高原で
ペンション『フォーシーズンズ』を経営されている門田紘一
さんでした。「蕎麦を蒔くまでの間、野菜を作ろうと思って
耕している」とのことです。ここで育てた美味な蕎麦は、11
月の温泉仕舞いなどに供されるそうです。

金倉山など豊かな自然と一体感を醸し出している門田さんを
拝見して、生活環境に羨ましさを感じました。一方、休耕田
が増加する現実に思いを巡らせ、かつて活力に満ちていた樽
本の農業が再生することを祈念しました。何も貢献できない
自分の無力を恥じながら・・・。因みに、写真に写っている
杉の木(5本)が直列している土地が私の生家跡です。

樽本ではいま、耕運や代掻きなどの作業は、主にトラクタや
耕運機に依存しているようですね。高齢化が進むなかで農業
を営むには、機械力に頼らざるを得ません。門田さんも「今
まで鍬で耕してきたが、もう限界ですね」と話していました。

昭和時代の初期を振り返ると、そういった作業は家族同然に
扱った馬や牛の力に頼っていました。中学時代の自分も、牛
を誘導する役目(通称:牛の鼻とり)を務めたものです。耕
す装置に慣れない牛を扱うときは、牛がジグザグに進むので、
作業の効率が悪かったという記憶があります。後ろで装置を
操作していた長男に、「もっとしっかりやれ!」などと叱咤
されたものです。

今回は短い滞在時間でしたが、樽本出身なのに初めて「馬隠し
(マガクシ)」を訪ねることができました。案内役を務めてい
ただいたのは、樽本出身で私より2年先輩の「樽本のオジ(ryuzi)
」です。Ryuziさんは、樽本の歴史遺産や土地柄などを精力的に
調査され、その内容をホームページ「春はうららの樽本」に紹
介しておられる方です。馬隠しの詳細な様子は、Ryuziさんのホ
ームページをご参照ください。

馬隠しへは、道路から比高差約60mの道なき急斜面を、老体に
鞭打って登りました。船底のような形をした地形は、馬を隠す
としたら好適の場所に思えました。斜面には群生したスミレや
エイレンソウ、ハナイカダをはじめ、珍しいニオイスミレの花
が咲いていました。馬隠しの斜面上の尾根部では、ケヤキの大
木や猿の腰掛、そして妙高山の雄姿も見られ、同行した高田生
まれの妻ともども貴重な自然を満喫することができました。樽
本は私の追憶と癒しの地であります。

下樽本出身の堀崎弘さまよりご連絡いただきました。
2010/1/17情報

【メッセージ】
下樽本の「分道」の次男坊で現在、奈良の天理に住んでいます。
友達からこのホームページを教えてもらい田舎の情報を懐かしく見ています。
母セツも同居しています。
今年90歳になります。


『堀崎さんへ』
メールありがとうございます。
HPは斑尾の有志が請け負って
作成しています。

冬は雪深いためなかなかニュースはありませんが、
先日土路で狩猟したいのししの解体、味見をしました。
5−6年前から出没するようになり、田畑を荒らしている
困り者です。
今後とも宜しくお願いします。

*********************************
豊葦地区協議会 事務局長  水品 憲男
949-2223 新潟県妙高市樽本
Tel・Fax:0255-82-3802

上樽本出身 Kさんへ
2009/11/25情報

上樽本出身のKさんへ:
2009年10月6日付けの記事を興味深く読ませていただきました。
私は下樽本出身者で、東條と申します。生家の屋号は「四郎兵衛」と云いましたが、昨年ついに、母屋は取り壊しになりました。

 退職後の人生で、すこし時間ができたので、出身地・樽本と
斑尾山麓の歴史を調べて記録に残しておきたいと思い立ち、
僭越ながら「斑尾街道風土記」と題した不定期通信誌を発行しております。

1年に1号のペースで、現在4号出し、来春発行予定の5号の編集をしております。
また斑尾ペンション村の人たちが中心になって取り組んでいる「植樹活動」(沼池西
側の丘のあたり)にも都内から参加させてもらっております。今後ぜひ連絡を取り合いたいと存じますので、当方のメールアドレスに発信いただけ
れば幸いです。委細はその折りに。
よろしくお願いいたします。

東條 榮喜
【メールアドレス】
 eiki.tojyo@tbr.t-com.ne.jp

ペンネーム 樽本のオジさまへ
2009/10/31情報


添付して頂いた画像です

この樽本通信ページに寄せられたお便りをうれしく拝見し
ました。お礼を申し上げます。中
学生の途中で故郷を後に
されたあなたとは、その後お目にかかる機会がありません
でしたね。今後のご厚誼をお願い申し上げます。

このページにご提供されたハゼ掛けの写真を見て、自分が
子供の頃に稲掛けを手伝ったことを思い出しました。農家
にとって“猫の手も借りたい”田植えと稲刈りの農繁期は、
学校が休みとなって子供も動員されましたね。

ハゼ掛けの作業は、この写真のように、二人の息の合った
協力が不可欠でした。野球に例えると、子供がピッチャー
の役目を担ったものです。稲束をハゼの高い所まで狙いど
おりに投げ上げるためには、体力や集中力、工夫などが要
求されました。顧みますと、そういった農作業の経験が、
自分の人生に少なからず役立ったように思われます。

「樽本じいちゃんの田舎だより」(10/30)を拝見して、
樽本の新米が出荷されたことを知りました。樽本のベテラ
ンが精魂込めて育て、ハゼに掛けて乾燥させた新米は、最
高に美味しいものでしょう。子供の頃に味わった、新米と
クルミ味噌で仕上げた「やま餅」の素朴で絶妙な美味しさ
は、いまでも脳裏に刻まれています。

11月3日の「温泉仕舞い」にお誘いいただきましたが、残
念ながらご一緒に参加することができません。なにとぞご
容赦願います。ご盛会を祈念しております。

上樽本ご出身 Kさんへ
2009/10/23情報


添付して頂いた画像です

この写真は今年10月16日、里帰りしたおりに樽本温泉の前から写しました。
この「ハゼ掛け」は昭和の時代まで、樽本のどこの家の庭先にもあった風景でした。

Kさんが先に投稿されました生家写真を、大変なつかしく拝見しました。
かつてKさんのお家は、このハゼ掛けのところにあってお家の庭を子供のころ、駆けまくって遊んだ記憶がよみがえりました。
この写真は、ふる里への思いを写している中でも大好きな中の一枚になりました。

先人の知恵であってハゼ掛け用に植えられた庭の杉の木には今年も、ふる里 樽本を守り続けてくださっている方が収穫のハゼ掛けをされていました。
私の生家でも、かつては家の高さをしのぐハゼ掛けを庭いっぱいに造っていた子供のころを
想い起しながら、この風景を写してまいりました。
(「ハゼ掛け」は樽本言葉で、一般には「ハザ掛け」と言われています。)

今はすでに私の生家もないのですが、残り少ない記録の一部を私のHP「春はうららの樽本」の、「昔のくらし」をたどる写真でご紹介しています。
「かやぶき屋根」がそれで、昭和36(1961)年夏に帰省したおりのものです。

樽本では、「斑尾ネイチャー倶楽部」の皆様のお力添えも得て、毎月、大小さまざまなイベントが開催
されていますので、時おり参加しております。
冬季休業の樽本温泉イベント、「温泉仕舞い」の11月3日への参加、ご一緒にいかがでしょうか。

【 HP「春はうららの樽本」《 oji-tarumoto // 樽本のオジ 》 】

神奈川県在住の樽本出身者のKさんより 
2009/10/6情報


樽本の在りし日の我が家

ホームページ担当者からのEメールで、斑尾地区の方々が
樽本地区の伝統的な催しなどに、支援の対応をとりながら
参加されていることを知りました。

樽本の出身者として驚くとともに嬉しい思いを抱きました。
仮に、私が樽本に在住していた場合、過疎化と高齢化が進ん
でいるだけに、斑尾地区の皆さまによるご支援と連携は、日
常生活に希望や楽しみを与えてくれる大きな源泉となりま
しょう。

いま、斑尾と上・中・下樽本、土路の五つの集落は、行政の
上で「豊葦地区」を形成していると聞いております。しかし、
各集落が離れているため、ともすれば集落の孤立化や閉鎖
性を招く恐れがあると思われます。私のような転出者が申し
ますと、地元の皆さまからお叱りを受けるかもしれませんが、
斑尾地区の皆様が将来とも、豊葦地区全体との連携を維持
されますようお願いいたします。

豊葦地区へは9月下旬に立ち寄りました。先祖代々の人達
が苦労を重ねながら開拓・維持してきた田畑は、年々、荒廃
の状況を強めているように見えました。その原因は、決して
在住されている皆さまの責任ではありませんが、日本の農
業の将来を危惧しつつ、憤りと寂しさがこみ上げてくるのを
禁じえません。いつの日か、かつて存在した美しい棚田の風
景が復活し、昔のように賑わいのある豊葦地区が甦ることを、
心底から願っております。

お届けした写真は、平成12(2000年)年まで存続した生家の
様子です。樽本温泉から布滝を望んだ方向にありました。生
家の家族は、昭和42(1967年)年に妙高高原町へ転出しまし
た。その理由は、還暦を過ぎて農業後継者がいなかった父の、
“病院に近い所で住みたい”という願望でした。いま思えば、
過疎化の先鞭をつけてしまったのですね。

その後、生家の家屋を利用していた叔父家族も、昭和の時代
に長野市へ転出。家屋は徐々に大雪などで損傷を拡大し、取
り壊しを余儀なくされました。生家の消滅は私の心に大きな
空洞をもたらしました。でも、夢の舞台には故郷の風景がよく
出てきます。

来る11月3日に「温泉仕舞」の会が催されるそうですね。豊葦
地区にお住まいの皆さまや出身者など、多くの方々が参加さ
れるのでしょうね。会に参加される皆さまの楽しげな様子が想
像され、私もいつか参加させていただきたいと思います。様々
な催しを通じて形成される強い絆は、きっと豊葦地区の活性化
に結びつくことと信じております。

神奈川県在住の樽本出身者のKさんより 
2009/10/01情報

メッセージ
樽本に関する充実した貴HPを拝見しました。私は樽本に出生し
た者で、現在は神奈川県に住んでいます。いま、樽本に存在す
る姓の由来を調べていますが、諸説あって確定的な結論は出て
おりません。そのうちに、樽本を愛する人たちが交流すること
によって、樽本の歴史探究が深まることを期待しています。

樽本へは9月21日に立ち寄りました。過疎化と高齢化が進み、
樽本は荒廃の一途をたどっていますね。もちろん、わが生家も
なく、さびしい思いを抱いて帰ってきました。今回を機に、お
見知りおきくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

ホームページ担当者より
メールありがとうございます。
私は、豊葦の郷HP作成グループの事務局を担当しているものです。
普段から、斑尾ネイチャー倶楽部として豊葦と付きあっています。

樽本の姓の由来 出来たら見せてほしいです。
HPも充実するよう努力するつもりです。

樽本の今後の予定として11月3日 11時から温泉仕舞の
蕎麦、焼き鳥等の振る舞いがあります。都合がつけばおいでください。