九州山地横断170km、忘れ難い雨中のドライブ
五家荘〜五木歌碑〜青島

第6日目 '04,04,19(月) 熊本県泉村→宮崎県宮崎市 268km 

06:40
 洗顔、身支度を終え、傘をさして散歩。道端の狭い畑にネギが植えられている。橋の上から清流を見下ろす。かすんだ山々にとり囲まれ静かです。
08:00
 雨が大降りなので引き返しました。朝食の時刻です。傘をさしてのビデオ撮り、濡れた上着を衣文賭けに掛けて朝食です。食事を運んできたご主人、イノシシやシカなどを狩りする大田道潅のようないでたちかと想像していたところ、親子様超色白で、若様は都会のお坊ちゃま、お父上様は鍛えられた堂々たる勇姿。名刺交換、短い語らいをし宿を立つ。
09:00
 県道52を五木に向かっています。宿のご主人曰く「県道の方が狭いけど道良し、R445は酷道です」って。
 お世話になりました・・おくがわさん
民宿“おくがわ”さんの朝食
09:10
 JA五家荘SSで給油する。隣のポストにハガキを投函する。すると村の辻で通せんぼをされ車を止められる。『奥川さんから、上着の忘れ物を届けるから待っていてくれ』とのこと。つい先ほど見送ってくれたご主人が、ジーンズの上着を持ってきてくれました。
 朝の散歩で濡れた上着を乾かそうと衣文賭けに掛けたままでした。すぐに気づき後を追ってくださったのです。お礼のしようがありません。82歳で、今も茶店をしているお母さんにと、食べ残しで失礼でしたが伊予柑を二つ手渡しました。
09:30
 R445に合流。行く手に山々が重なって先が見えません。雨は大降り。『途中、狭い所もある』という言葉を思い出しながらハンドルを握る。所々に“異常気象交通止地区”とか“落石注意”の立て札があり心細くなりました。
10:10
 道の駅“五木”に到着。4月にオープンしたばかりです。隣に歌碑公園を移転させたとか・・・・。
 中には黒柳お相撲さんの大きな絵が飾られていました・・・・何か“雷電くるみの里”と似ていて哀愁を感じました。
10:55
 元五木歌碑公園地帯はダム建設埋没するので、駅や役場など村の主要な建物は高台に集められています。それらが密集する高台を、“五木歌碑は・・・・五木子守唄はどこで聞けるのか・・・・”と探しまわりました。
高台に移された歌碑公園一帯
 結局、郵便局の前にある温泉施設の中で聞けました。そこでは、ダム建設についての解説もありました。ダムに埋没する村はすでに更地になっていて、その時を静かに待っているようでした。
 思い出の故郷、住み慣れた我が家がダム底になってしまう人々の気持ちを思うと、何ともやるせなく言葉になりません。高台から見下ろす村、ダムの底に沈むのを一日一日を数える五木村・・・・旅人の私も、胸が痛む思いでした。
ダムの底に沈んでしまう五木村 五木歌碑
15:00
 霧島方面は雨で見えません。霧島に寄らずにR10で宮崎に行くことにしました。途中の植木屋さんで記念にと“ミヤマキリシマユフシボリ”の苗を買いました。
15:50
 “読売巨人軍大歓迎”と大きく書き“青島ホテル水光苑”と小さく書いてある今夜の宿泊地に着きました。暑い。ちょっとしたお洗濯、荷物の整理、これだけで汗だくです。部屋の前が道、裏は海岸、周りにはスポーツ施設が多い。ここは選手の宿泊に便利なホテルです。その割には、スポーツにはほど遠い熟年連ればかりでした。
18:00
 自宅に電話、今までの中で今日が一番疲れたような気がする。“五家荘〜五木”まで、九州中央山地横断170kmは辛かった。昨日の疲れも出たのかもしれない。地図上での計測とは大いに違った。九十九曲がりの山道は2倍以上の距離、時速は20〜30km/h、これも読みの半分の速さでした。
東御市〜倉敷市 倉敷市〜北九州市 北九州市〜別府市 別府市〜阿蘇町 阿蘇町〜泉村
'04,04,14 '04,04,15 '04,04,16 '04,04,17 '04,04,18
泉村〜宮崎市 宮崎市〜鹿児島市 鹿児島市〜山口市 山口市〜和田山町 和田山町〜東御市
'04,04,19 '04,04,20 '04,04,21 '04,04,22 '04,04,23