盛岡は“高村光太郎・宮沢賢治・石川啄木”ゆかりの地です。高ぶる気持ちを抑え盛岡の街を・・・・一方通行あり渋滞あり迷いに迷い半泣きで車を走らせる。 |
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− 石川啄木のふるさと − |
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旧 岩手銀行 本店 |
やっとの思いで岩手公園に、啄木と賢治の碑を見て早々に引き上げる。そんなこともあってイーハトーブアベニューは断念。 |
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岩手公園 不来方城 |
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岩手公園 中津川縁 |
不来方城は南部信直が築城し1633年に完成したもので、唯一残る城跡の石垣は盛岡産の花崗岩を積み上げたもの。 |
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岩手公園内には賢治碑がある |
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渋民公園 石川啄木歌碑 |
盛岡の北にある渋民は石川啄木の故郷である。渋民公園内の鶴飼橋近くの小高い丘に立つ石川啄木歌碑は渋民の青年たちによって建てられた全国最初の啄木歌碑だ。 |
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発荷峠から十和田湖を見下ろす |
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十和田湖 乙女の像 |
発荷峠から十和田湖を見下ろす。十和田湖神社の杉並木を抜け乙女の像まで歩く。ここでも道を間違え半泣きで来た道を戻る。 |
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高村光太郎作 乙女の像 |
西日が当たった乙女の像は逆光でシルエット。十和田湖を後に十和田湖奥入瀬ラインは道と渓流が並んで蛇行している。ただ黙々と走るのみ。 |
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明治の文人 大町桂月 |
宿舎の蔦温泉は大正7年に2000円で出来たという立派な建物。廊下も部屋も鴬張り、お手洗いも大正時代のもの。そして、そこには“住まば日本、遊ばば十和田、歩きゃ奥入瀬三里半”と世に知らしめた明治の文人“大町桂月”の像がある。 |
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