編成表へ ->
写真館 新館へ ->
写真館 旧館
1号棟 ローカル線 礼賛
1. | 蒲原鉄道 | 1999年秋 廃止。五泉〜村松 元々は五泉〜加茂を結んでいた。1985年に部分廃止。短い路線ながらも魅力的な車輛の宝庫だった。 |
2. | 新潟交通 | 1999年春 廃止。東関屋〜月潟 元々は白山前〜燕を結んでいた。1992年に併用軌道区間の白山前〜東関屋が、1993年には端末の月潟〜燕が廃止された。ほぼ統一された形の車輛ばかりだったが、周辺施設とともにローカル私鉄の魅力を詰め込んだような鉄道だった。 |
3. | 南部縦貫鉄道 | 1997年5月 休止。野辺地〜七戸 1962年開業と新しい鉄道。「レールバス」の走る鉄道として鉄道ファン以外にも知られていた。運転手がギアチェンジしながら走る姿は大変、ユーモラスなものだった。現在、新幹線七戸駅開業に望みを託して休止中。当初は廃止予定だった。 |
4. | 下津井電鉄 | 1990年末 廃止。児島〜下津井 軌間762mmのいわゆる軽便鉄道。1988年の瀬戸大橋開通を機に観光鉄道への脱皮を図り、車輛の新製や駅の改修を行ったが、開通ブームはすぐに過去のものとなり、その投資が却って首を絞める結果になってしまった。軽便らしさを色濃く残していた最後の鉄道だった。 |
5. | 下北交通 | 2001年3月末 廃止。下北〜大畑 本州最北端の鉄道であった、旧国鉄大畑線を1985年7月に全国で唯一バス会社が引き継いだ転換線である。旧国鉄純正のキハ22(下北形式 キハ85)が使われていることでも知られている。利用者の減少や施設の老朽化などから廃止が決定したもの。 |
6. | 野上電気鉄道 | 1994年3月末 廃止。日方〜登山口 平成の世に奇跡的に生き残った典型的ローカル私鉄。味わいのある車輛達が最後まで活躍していた。逆にいうとそのことが会社の置かれた状況を如実に表していたといえるのだが。マニアにとってはたまらない魅力のある鉄道でした。(良く通いました) |
7. | 電気化学工業 | ちょっと毛色の変わったところで、青海にある電気化学工業(デンカセメントの工場)青海工場の専用線の1つです。この原石線では線内専用のオリジナル貨車がDD16タイプのDLに牽かれ(推され)ている。 |
8. | 小坂精錬 | 1994年の旅客営業廃止後は、すっかり小坂精錬の専用線然としてしまった同鉄道ですが、DL3重連やタブレット閉塞(通過列車によるタブレット授受は今ではここでしか見られない)など、非常に興味深い鉄道です。今回はその「タブレット」に的を絞って。 |
9. | 筑波鉄道 | 1987年3月末 廃止。土浦〜岩瀬 茨城県非電化私鉄の一つで、1945年から1979年まで関東鉄道の1路線でした。独立(赤字路線の別会社化)後、10年持たずに廃止となってしまいました。廃止当時は関東、鹿島とともに各地から集まった気動車達で賑やかな鉄道でした。 |
10. | 銚子電気鉄道 | 醤油の街銚子と犬吠埼にほど近い外川を結ぶ全長6.4kmのミニ私鉄。最近ではちょっと頂けない装いになってしまいましたが、好ましいスタイルの小さな釣り掛け電車が未だ現役で活躍しています。 旧塗装時代の夏に訪問したときの写真です。 |
11. | 国鉄 飯田線 | 中央線辰野と東海道線豊橋を結ぶ長距離ローカル線です。元々は私鉄として開業した買収路線です。四季の変化に富んだロケーションは今も変わらぬ魅力として多くもファンを惹きつけています。 旧国末期の昭和57〜58年、辛うじて撮影した旧国の記録です。 |
12. | 越後交通 長岡線 | 1995年3月末 廃止。来迎寺〜西長岡 元々は来迎寺と寺泊を結ぶ私鉄でしたが、晩年は路線の半分以上を廃止にして貨物専業鉄道になっていました。晩年の輸送量は企業の専用線レベルであり、その大部分を占めていたデンカセメントが鉄道輸送を廃止するのに合わせて鉄道も廃止となりました。 |
13. | 国鉄 富山港線 | 北陸線富山から岩瀬浜までの8kmを結ぶローカル線です。元々私鉄として開業した路線で、その名残として北陸では珍しい直流電化路線です。73系電車最後の営業路線でした。 昭和58年に訪問した記録です。この時は「乗り鉄」だけだったので・・・ |
14. | 東洋活性白土 | 1982年秋 専用鉄道廃止。糸魚川駅〜東洋活性白土(株)工場 最後まで蒸気機関車が現役で使用されていた専用鉄道として有名です。(新規) |
2号棟