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水は生命の源ですが、母親の胎内で羊水に包まれて育つのは、地球上に生まれた生命の歴史をたどっているということです。
漂流した経験は忘れない
普段は気づかない水の大切さ
水がこんなに人間の生命と直結しているとは知らなかった
私はかつて3日3晩飲まず食わずの状態で海上を漂流した経験があります。インドネシアのアンボンという衝からブル島へ、インドネシア軍が使っていた陸軍上陸用舟艇を借りて渡ろうとしたのですが、暴風雨にあって方向がわからなくなってしまいました。
アイスボックスにはビールやジュースがたくさん入っていたのですが、水はなかったのです。しかし、そのとき欲しいものは「ただの水」でした。
人間が生きていくうえで、水は絶対に欠かせません。食べ物がなくても数日から数週間は生きられるのですが、数日水をきらしたら、脱水症状を起こして命を落とすでしょう。体内に含まれている水のうち、体重のたった1割が失われただけでも、人間のからだは危機的状態に陥り、2割を失うと確実に死亡します。
私が遭難した当時、インドネシアには現在のようにミネラルウォーターのペットボトルなどはなく、生水はとても安心して飲めるものではありませんでした。大部分が多量の大腸菌で汚染されていたため、カンに入ったビールやジュースが安全な飲みものでした。
しかし、遭難時にはビールやジュースはほとんど役に立たないことを身をもって知りました。空腹状態のときはジュースはおいしかったのですが、ビールはだめでした。それでも水分補給のために飲んだのですが、かえって「ただの水」が欲しくなり、暴風雨で揺れる舟のなかを、飲み水を求めてよろよろとさまよっていました。
インドネシア人の同乗者も、自分たちが持参してきた水をすでに飲み尽していました。私は気分がわるくなって何度も吐いてしまいましたが、そうすると、余計、「ただの水」が欲しくなりました。人間はギリギリの状況に置かれると、ほしいものは水だけなのだという本当に貴重な経験でした。
食べ物は10日間以上まったくとらなくても皮下脂肪などを消費しながら生きていけるのですが、水を1滴も飲めないと、細胞外液の濃度が高くなり、浸透圧の関係で、水分が細胞から引き出され脱水状態となります。ちょうど塩をかけられたナメクジと同じ状態になってしまうのです。
人間のからだからは1日約2.5リットルの水が排泄されます。尿や大便として1.5リットル、く息から0.5リットル、皮膚から蒸発している水が0.5リットルです。
そのため、私たちは飲み水で1リットル、食べ物に含まれている水分で1リットル、体内でタンバク質や炭水化物、脂肪などが燃えて出る水分0.5リットルで補給しているのです。こうしてバランスをとっていまが、健康のためには、水やお茶をもう少し飲んで、やや多めに水分を補給しておくのがいいようです。
軽く汗をかくような運動をした場合には、1ットルの水が失われます。真夏に激しいスポーツをすれば、なんと10リットルもの水分を流すこともあります。
このように、私のインドネシアでの遭難は大変危険なものでした。人間は何もしなくても1日に1.5リットルの水分が失われます。体重の20パーセントを失うと死亡してしまうのですから、当時、体重70キロだった私は、14リットルを失うと、つまり9日間で生命が危うかったということです。 インドネシアの海上では非常に蒸し暑い状況が続いていたので、もう少し遭難が長びいていたら、私は水不足のためにいのちを失っていたに違いありません。